2枚に切って使われた紙幣

1848年発行 ハンガリーの1グルデン紙幣
裏面に印刷はない
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1848年、ヨーロッパでは自由を求める市民蜂起が続きました。
ウイーン会議で復古された旧体制に対して、労働者・農民・学生が自由を求めて蜂起したのです。
1月にイタリアで始まり、2月にはフランス、3月にはオーストリア、ハンガリー、ドイツ、デンマークなどに飛び火しました。
各地で旧体制の政府は倒され、自由主義的な憲法が制定されました。
これらは総称して「諸国民の春」と呼ばれています。 2011年の「アラブの春」に似ています。

このころのハンガリーの貨幣単位は、1グルデン=60クロイツァー。 1グルデンは現代人には1万円程度の感覚でしょうか。
そして、日常的に使われていたのは、
  高額 1、2グルデンの紙幣
  中額 10,20クロイツァーの銀貨
  低額 0.5,1,3,5クロイツァーの銅貨
などでした。
このような社会が不安定な時代、ハンガリーの人たちは、半ばオーストリアに支配されている政府や銀行を全面的には信頼できません。
銀貨だけは素材の価値は保証されていますから、手に入るとすぐにしまいこんでしまいます。 溶かして地中に埋めて隠す人もいました。 すると、流通から銀貨が消えてしまうのです。
高額の紙幣と低額の銅貨をつなぐ貨幣が市中からなくなってしまったのです。
困りはてたお店の店主は、何と1グルデン紙幣を半分に切って30クロイツァーのお釣りとしました。 受け取ったお客はさらに半分にして15クロイツァーとして使いました。

銅貨や銀貨を半分にして使った例としては、古代ローマや中世のイギリスの例があります。 詳しくは、 「半分に切って使ったローマコイン」と、 「二つに切って使ったペニー銀貨」をご参照ください。

紙幣を半分にして半額として使うという発想、現実にあったことに驚きです。

【参考文献】
  良知力(らちちから)、『貨幣の表情』

 2020.12.27