山中城


コロナの時代、ずっとお城歩きをしていなかったが、久しぶりに城郭史学会の見学会に参加した。
昨日までは冬の季節だったが、一転して好天。 絶好のお城日よりである。
12時30分に三島駅に集合して、タクシーに分乗して「山中城跡」に向かう。
「山中城」は、秀吉の小田原攻めのときに、凄惨な攻城戦があったところである。
現在この城は、すっかりきれいに整備され、お城のあった公園としてよみがえっている。

富士の見える公園、畝掘のいっぱいある土の城

天守台から見下ろした「本丸」

● 郭
 山中城は、東海道脇の自然の起伏をそのまま利用しているため、数ある郭が必ずしも一様でなく、また郭間の連結も不自然な感じがする。
 山頂部に本丸があり、その脇に天守台と称されているさらに高い所がある。 天守台といっても櫓台。 本丸はさほど広くない。
 本丸の脇に二の丸があるが、平坦ではなく、大きく傾斜している。
 その西に「元西櫓」、「西の丸」、「西櫓」と郭が続く。
 城のあちこちに植木がある。 公園としての見栄えはいいかもしれないが、古城の見学に来た者としては目障りである。

傾斜している「二の丸」
ハート型の「元西櫓」、向こう側に「西の丸」

本丸と二の丸間の畝掘
西の丸と西櫓の間の畝掘
● 畝掘
 この城の最大の特徴は畝掘である。 それが城の各所にある。 ありすぎるほどある。
 しかし郭から堀に至る切り岸が緩やか過ぎる。 ほとんど垂直に切り立っていたはずである。
 畝掘は雨水をためる池としても使われていたらしい。 高位の池から下位へ水が流れやすくするための切り欠きもある。

北の丸の土塁
街道脇の三の丸の土塁
● 土塁
 いくつかの郭の周囲は土塁で囲まれている。 ただし、これは現代の想像復元で、当時のものではない。 低くて狭すぎる。 現代人のための危険防止用の手すりを一見当時風に復元したようだ。
 街道際に応時の土塁が見られた。 民家の軒先に手が届きそうなところにある。 垂直に切り立っている。 この城に来て初めて北条氏時代の城を見つけような気がした。

旧東海道 左側に出丸がある
● 街道
 この城は「東海道」の内の「箱根道」を取り込むようにある。 街道の北に本城、南に出丸。
 街道の一部は江戸時代の敷石を含めて忠実に復元されている。 しかし石畳は現代人には歩きにくい。
     

 山中城メモ

   永禄10年(1567) 北条氏康、山中城を築城
   天正17年(1589) 北条氏直、岱崎(だいさき)出丸を増築
   天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻め。 徳川家康3万と豊臣秀次1.5万が山中城を攻める。 城は北条氏勝ら4000が守るが半日で落城。
  

 2024.2.24