土佐の城


  安芸城   2013.10.13  


大手口
外堀
詰郭の石垣
詰郭内部
  安芸城は戦国の城ながら、江戸時代も土佐藩の家老の城として使われた珍しい城である。
  城門の周辺の石組や堀の形状など、近世の城を思わせる。 城は江戸時代になってだいぶ改修されたのだろうと思われる。

 安芸城メモ
  延慶2年、安芸親氏がこの城を築いたとされる。
  永禄6年(1663)、安芸国虎、岡豊の長宗我部元親を攻めるが失敗。
  永禄12年(1669)、長宗我部元親、安芸城を攻め、国虎は自害。
  慶長6年(1601)、土佐藩主山内一豊の家臣五藤為重この城の預かる。1100石。
  


  浦戸城   2013.10.14  


天守台
堀切
  桂浜のすぐ裏にある城である。
  城域は坂本竜馬記念館とかで全く置き換わっているかと想像したが、意外にもそうでもない。
  最頂上部に10m四方くらいの天守台がある。雑木林になっている所が素晴らしい。
  また、西部に段状に郭が連なり、その途中に大きな3列の堀切が残っている。


 浦戸城メモ
  天文年間(1532〜55)、本山城主の本山梅慶が築城し、長宗我部氏と対抗。
  永禄3年(1560)、長宗我部国親、この城を攻め落とす。
  天正16年(1588)、長宗我部元親、岡豊城よりこの城に移る。
  慶長5年(1600)、山内一豊入国。浦戸一揆がおこる。一豊は同じ年高知城に移る。

  岡豊城   2013.10.14  


地図
二ノ段
詰下段(右側が詰の郭)
詰の郭
四ノ段
虎口
  一時は四国のほとんどを制圧した長宗我部元親の居城である。

 岡豊城メモ
  永正5年(1508)、長宗我部兼序、本山氏などに攻められ自害。国親は一条家に逃れる。
  永正15年(1518)ころ、国親、岡豊に戻る。
  天文16年(1547)ころ、長岡郡南部一帯を制圧する。
  永禄3年(1560)、国親病死し、元親が跡を継ぐ。この頃本山氏と戦う。
  永禄11年(1568)、本山城の本山茂辰を攻め滅ぼす。
  永禄12年(1569)、安芸城の安芸国虎を攻め滅ぼす。
  天正2年(1574)、中村城の一条兼定を豊後に追放し、土佐全国の事件を制圧する。
  天正10年(1582)ころまで、阿波・讃岐・伊予に出兵。
  天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐に破れ、土佐一国の領主となる。
  天正14年(1586)、九州征伐のとき、信親戦死。
  天正16年(1588)、居城を岡豊から大高坂、後浦戸に移す。

  長宗我部兼序─国親─元親┬信親
              └盛親