飛 山 城
秋の好天の一日、20人ばかりの城好きが、宇都宮駅に集まる。
「飛山城」は、宇都宮市の東部、鬼怒川を渡ったところにある。 駅から約6キロ、タクシーに分乗して向かう。
● 飛山城史跡公園
城跡は、「飛山城史跡公園」として整備されている。
大手口には木の橋があり、外堀とその内部の土塁が、定規で測ったように造られている。
ほんとうの城は、もっと凸凹し、より高く、より深く、より厳しかったはず。 まあ、壊されてしまうよりは良しとしよう。
● 城内の曲輪
この城は、西北端の本丸を何重にも取り囲むように曲輪が連結されている。 曲輪間の高低差は殆どない。 最大の曲輪は、城の南半分を占めるもので、200×200メートルくらいあり、やたら広い。
くぬぎ、ぶな、なら、くりなどの照葉樹林が繁り、最外周には土塁がめぐらされている。
● 外堀
城の西と北側は、鬼怒川に続く崖が自然の防御壁となっている。
一方東と南側は、街道からなだらかな傾斜でつづいており、そのため二重の深い外堀で守られている。 幸いなことに、破壊からも免れ、当時を姿を十分想像できる状態で残されているのが嬉しい。
● 土橋と櫓台
真南中央に、堀を横切る土橋があり、それを渡ると櫓台がある。 この城跡の中で最大の見所である。
規模と位置関係から考えると、こちらが本当の大手口ではないのか、とも思う。
● 古代と中世の遺跡
この城の中には、古代と中世の遺跡も見つかったそうである。
・平安時代初期ののろし台
・中世の地下備蓄倉庫
・中世の兵士の詰め所
などが復元されている。
● 城外を望む
城の西北部、本丸とおぼしきあたりは、鬼怒川の氾濫などで削られ、かなり狭い曲輪となってしまっている。
このあたりから、眼下に鬼怒川と、はるか向こうに日光の男体山が望める。
鬼怒川の水量は、現在よりはるかに多かっただろうから、水運も盛んであったことと思われる。
● 宇都宮城現況
飛山城を後にして、最近復元中の「宇都宮城」に向かう。
5年前に来たときは、ほんの少しの石垣だけが残されていたのだが、この「復元宇都宮城」には驚いた。
位置と大きさは史実に基づいているらしいのだが、
・土塁は、張りぼての上に”土もどき”で覆っているもの
・土塁の中央に、市役所から通じる巨大なトンネルが開いている!
・櫓の屋根が不自然に反っている
・城壁の狭間の開き方が間違っている
などなど、一行からの不満続出。
飛山城メモ
1295年ころ 芳賀高俊が飛山城を築く。
1339年 北朝方の宇都宮・飛山城、常陸の南朝方に攻め落とされる。
1263年 飛山城主芳賀高家、武蔵岩殿山の戦いで足利基氏と戦い敗死。
1557年 芳賀高定、宇都宮広綱を助け、壬生氏より宇都宮城を回復。
1590年 豊臣秀吉の命により、このころ廃城となる。
2006年11月25日