高天神城
高天神城
地図
地図 Map
全景 The whole view
城郭史学会のバスツアーは、また満員である。
9時きっかりに東京駅近くのバス駐車場を出発、一路高天神に向かう。
武田氏と徳川氏のたびたびの城攻めがあった有名な城であるが、足の便が悪く、バスツアーを待ちかねていた。
途中少し寄り道し、城についたのは1時ころ。
登り道 the climbing path
東北側の崖 the steep slope
城は、東郭群と西郭群の二つの峰からなっている。
我々は、東郭群の南の大手口から登り始める。
登り道はさほど急ではない、 登り始めるとすぐ、着到曲輪、三の丸、御前曲輪などの曲輪群が待ち構えている。
曲輪群の両側は急な斜面である。 特に北と東側はとても人が登れる険しさではない。
三の丸 the square enclosed in mound
御前曲輪からの眺め view from the square
東の峰には、三の丸、御前曲輪、本丸などが連結している。
いずれも、20〜50メートルくらいの大きさで、周囲の一部に1メートルくらいの高さの土塁がある。
曲輪のはるか南方に太平洋が望める。
本丸 the main square
大河内石窟 the prison
本丸も、数十メートルの大きさで、さほど大きくはない。
本丸は、西方向に二つの腰郭を伴っているが、これらは「ケスタ台地」という、日本では珍しい地形を利用しているとのことである。
本丸の北側の壁面に「大河内石窟」がある。
二の丸 the flattened square
堂の尾西側の横堀 the moat
東峰と西峰を結ぶのは一段と低い鞍部にあたる井戸曲輪でつながれている。
この城の中で、このあたりが最も防御設備が少なく、この部分が敵に奪われると、水の手を奪われるだけでなく、東西の郭群が分断されてしまう。 この城は、決して名城ではない、との小高さんのご説明。
この城の見どころを三つ。
まずは、堂の尾曲輪の西側にある長さ60メートルの横堀とそれに並行する土塁。
犬戻り猿戻り the narrow path on the ridge
南端の堀切 the cut of the ridge
次に、西の丸の西方に伸びる「犬戻り猿戻り」。 細い尾根伝いの道が100メートル以上続くらしい。 最近はトレッキングコースの一部となっているらしく、人の踏み固めた跡がある。
そして、西の丸の南方にある急峻な堀切。
およそ2時間の散策を終え、搦め手口から帰る。
高天神城メモ
1513年、このころから「高天神城」の名がある。この当時の城主は今川氏家臣の福島氏。
1536年、福島氏滅び、城主は小笠原氏となる。
1560年、桶狭間の戦。
1568年、今川氏滅び、小笠原氏は徳川家康に服属する。
1572年、武田信玄、高天神城を攻めるが失敗。
1574年、武田勝頼、高天神城を攻め、小笠原長忠降る。家康の軍目付大河内源三郎は石牢に入れられる。城番は横田甚五郎尹松。
1575年、長篠の戦。
1578年、家康、高天神城を攻める。城主は岡部長教となる。
1581年、高天神城陥落。岡部長教討死、横田尹松脱出。大河内源三郎は石牢より救出。
2013.2.23