杉 本 城
秋晴れの日、鎌倉を散策した。
大鎌倉城は東西5キロ、南北3キロもあるが、その中の城跡としては「杉本城」だけしか知られていない。
散歩のついでに、この城を表敬訪問することにする。
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南方より眺めた杉本城
| 杉本寺の本堂
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「杉本城」は、滑川と二階堂川の合流点の小山にあり、鶴岡八幡宮を東から守っているようにみえる。
「城山には現在では「杉本寺」が鎮座しているだけである。 城山の頂上近くに杉本寺の本堂がある。
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城より東方を眺める
| 滑川
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城の南側にある滑川は、鎌倉の中央を流れる清流であり、材木座海岸に注ぐ。
釈迦堂口切通
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釈迦堂口切通
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杉本城から、20分ほど南に「釈迦堂口切通」がある。 鎌倉には有名な切り通しが多いが、最も古い姿で残っているのがこの切り通しである。
落石が多いため通行禁止になっているが、それだけに観光化されず、保存状態がいい。 永年通行禁止らしいのだが、道は日常使われている程に整っている。
朝比奈切通
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土塁跡
| 熊野神社への山道を登る
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杉本城と釈迦堂口切通を訪れてから2年あまりたって、日本城郭史学会主催の朝比奈切通見学会に参加した。
講師は地元の大竹さんである。
バス停「十二所神社」でおりて少し歩くと、「土塁跡」がある。かつては、ここに朝比奈切通の最後の関がここに設けられていたそうである。
切り通しの道をはずれて、細い山道を登る。「熊野神社」へ登る道で、少し険しいところもある。
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東京湾が望める
| 熊野神社
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道は神社の裏山にたどり着く。何と、ここからは東京湾が間近に望める。
鎌倉といえば相模湾に面した町だとばかり思っていたが、東京湾にもこんなに近いとは意外である。かつては、この切り通しが塩の道などとして大きな役割を果たしていただろうことは容易にうなづける。
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朝比奈切通(峠付近)
| 朝比奈切通(途中)
| 朝比奈切通(西側)
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切り通しは、人力で切り開いた道だと聞く。いくら柔らかい砂岩だとはいえ、高いところでは15メートルもある。
岩の多い道で歩きやすい。とはいってもところどころぬかるみそうなところもあり、雨でも降ると・・・
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屋敷田
| ヤグラ
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「屋敷田」は、街道を見下ろすような策平地であり、上総介広常の屋敷跡と伝えられる。
また、いたるところに岩を切り取った横穴があり、「ヤグラ」と総称されている。岩を切り取った跡、墓地、見張り所・・・などなどの説があるが、定説はないようである。
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大鎌倉城
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杉本城メモ
天平6年(734)、光明皇后の御願により、藤原房前、行基が杉本寺の堂宇を建立したと伝えられる。鎌倉最古の寺だそうである。
一時消失していたが、建久2年(1191)、源頼朝が再興。
建武4年(1337)、後醍醐天皇の命により、北畠顕家らが鎌倉の足利義詮を攻めたとき、この城を守っていた斯波家長が討死。
1520年ころ、三浦氏に代わって小田原北条氏がこの地を支配したが、このころ鎌倉防衛の拠点として利用されたと推定。
2006年11月21日(杉本城、釈迦堂口切通) 2009年1月24日(朝比奈切通)