杉 山 城   


案内図(本郭にある)   朝5時に起きて弁当をつくり、7時には家を出た。

  休日もこの時間に出発すると、電車が座れて移動できる。 池袋発の東武東上線で約1時間、「武蔵嵐山駅」に着く。 こじんまりとした駅である。

  殆ど商店街もなく、住宅街の間を北西の方向に進み、市野川の土手沿いに行くことにする。 この土手沿いの道は失敗だった。 途中、橋を新設するための工事現場で迂回させられ、また小さな川が合流するところでは橋がないため川床を横切るはめになった。

  多少余分に時間はかかったが、1時間ほど歩いて、目指す杉山城を望める橋(相生橋)に着く。 すぐ近くにお寺(積善寺)があり、その裏に小さな墓地がある。 墓地の横を登ると、すぐ堀と土塁に出くわす。


南郭にある土橋   登り始めたところは、城の南郭で、3つの小さな郭が連続している。 要所要所に土塁、郭の間の複雑に屈折した空掘、@郭と郭をつなぐ土橋が連続する。


横矢掛かり(左側)   堀が屈曲し、A横矢掛かりの土塁(櫓台)も規模は小さいが、何箇所かある。

  郭の内部は程よく柴が刈られ、歩きよい。 人影は全くないが、いつも人が通っているかのように道がついている。

  南の3つの郭から、本郭へは土橋がなく、堀底を経由して、本郭の虎口へよじ登る。


本郭内部(お堂は左側の木の陰にある)   本郭はさすがに広く、長さが50m以上はある。 北の隅に、B碑、お堂、案内板がある。お堂は、この城で最も高い櫓台の上にある。 この城にある後世の人造物はこれらで全てである。 少し季節外れの、うぐいすの声が聞こえる。

  本郭の東に少し低く、二つの郭が連続している。 東郭から見ると、本郭は随分高く感じられる。 山の高低差を巧みに取り入れている。

  いったん本郭に戻り、北郭に行く。 北郭へ通じる虎口の外側は、見事な食い違いになっており、本郭の櫓台を下からみると、堀底からの高さは5mを超える。

  北郭も二つの連続した郭からなっている。 この郭は、端に人の歩ける道を残して、全て背の高い竹やぶである。 北の端まで行くと、下界の国道と人家が望める。

  本郭の下の井戸郭を経由して、元の南郭に戻ることにする。 井戸跡には目印のように大きな石がおいてある。 戻る途中に山の下方向へ延びる竪堀が確認できるが、木に被われ写真にはとれない。


南方より見た杉山城   この城は、さほど広くない(200m×100mくらい)のところに、約10個の郭、曲がりくねった堀と土塁、随所に横矢掛を配し、山の高低差を巧みに利用した、城づくりの教科書的な城である。 築城者の執念のようなものが伝わってくる。 気のせいか、八王子の滝山城を縮少したようにも感じられた。

  観光化のための破壊がまったくなく、それでいて歩き易い。 持ち主と嵐山町教育委員会に感謝々々の気持ちである。

  城を東から見るとただの小山にしか見えなかったが、 真南から見ると見事な台形をしている。

  杉山城メモ

  1550ころ、松山城主上田氏の家臣、庄氏(庄野氏?)が城主?
  その後、北条・上杉氏の争いの真っ只中に位置するが、消息不明


  菅 谷 館   


  杉山城を出て、麦畑の間の農道を進む。 今度は道を間違えない。 空にはひばりの声が盛んである。 途中で国道に入り、嵐山駅入り口の交差点付近から南下すると、菅谷館に着く。


本郭虎口外側の土塁と空堀   入り口は、搦め手門の横の門である。 早速土塁と堀がお出迎えしてくれる。

  内部は、広い郭とスマートな堀と土塁であり、杉山城が野武士風だとすると、この城は紳士風である。

  第3郭と、第2郭を通り抜け、本郭へゆく。 郭の周りには土塁が張り巡らされ、その外側はゆったりとした空堀になっている。


本郭内部   本郭は、真ん中を南北に横切る道をはさんで、西と東で大きく様相が異なる。 西半分は欅などの大きな木の林で、東半分は草原である。 ちょうど草原の草刈り作業が終わった直後らしく、刈り取り機をおいたまま、十数人が談笑しながら弁当を食べている。 私も木陰でシートを広げて弁当を食べることにする。


本郭南側の細い土塁   本郭は、南側以外は2〜4mくらいの土塁で囲われている。  南側だけは、土塁がなく、そのかわり空堀を隔てて、屏風を立てた様な、細い土塁がほぼまっすぐ100mくらい続いている。 高さは、ちょうど本郭と同じ高さである。 この土塁がどのようにして防御に役に立ったのか全く想像がつかない。

  堀底や土塁の上に登ってみようとしたが、随所に「土塁には登らないでください」「堀にはおりないでください」はともかく、「マムシに注意」の注意書きがある。

  第3郭と第4郭の間に、「蔀土塁」なるものがあるが、2/3くらい欠けているため、存在感が小さい。 同じところに、復元された頑丈そうな橋がある。 あまり頑丈そうで、違和感を覚える。

  第4郭の外側は、大手のはずだが、すごく淋しい。


菅谷館の模型   第2郭に「埼玉県立歴史資料館」がある。入場料は50円。この城の模型があった。

  おおらかで、スマートな城である。戦のための城というより、中世豪族の館、政庁にふさわしい。

  朝から歩き続けていたため、外郭の周りを確認するのを忘れてしまっていた。

  1時20分ころ武蔵嵐山駅に着いた。 ホームから上りの電車が出たところだった。 次の電車まで30分待つ。 約4時間の散策であった。

  家についてメールチェックしたら、城友達からのメールが来ていた。

  2001年5月13日(母の日)

 菅谷館メモ

 起源は畠山重忠(〜1205)の居館と伝えられる。
 1480ころ、山内上杉家の家臣太田資康(道灌の子)が城主。
 その後、北条氏が改修したらしいが、詳細不明。