丹波周山城


大阪に住んでいる兄に誘われて、「関西城郭研究会」の例会に初めて参加した。
9時20分京都駅集合だったので、早朝の5時に東京の自宅を出た。
参加者は30名くらいだが、何と城ガールが7人もいた。

⇒「国土地理院地図」

つづら折りの登坂路
山頂付近
京都駅から、路線バス1時間半くらいで、「周山」に着く。
バス停から10分も歩くと登り口である。 険しい坂道を20分ほど登ると、道の起伏は小さくなる。
歩きやすいところが多いが、倒木も多く、また崖沿いでは、注意しないと滑り落ちそうな所もある。 大歩危・小歩危の言葉を思い出しながら歩く。

本丸近くの虎口
本丸に続く石塁
本丸近くになると、石垣や石塁が目立つようになる。
横矢かかりがはっきり分かる虎口もある。
本丸に続く二列の石塁は、長大である。 だいぶ崩れてはいるが、ここに二列の長い石塁が伸びていた往時の姿を想像すると楽しい。

本丸内部
天守台?
本丸は正方形に近く、外周は土塁・石塁で囲まれているが、内部は平坦ではなく、かなり起伏がある。
本丸の隅に低い石塁で囲まれた一角がある。 天守台跡と推定されているが、案内人は否定した。
ここで昼食タイムである。 木陰なのでさほど暑くはない。

本丸西の郭の石垣(北側)
同(南側)
この城の石垣・石塁の石の多くは散乱しているが、本丸の西隣の郭には、南と北に当時の姿での石垣が残っている。
それらは戦国の無骨な野面積みである。 明智光秀なら穴太衆を使えただろうに、築城を急いでいたのであろうか、などと思う。
しかし石の大半はごろごろ転がっており、自然に破壊されたというより、何らかの意図をもって破壊されたような気がしてならない。

堀切
西の城へ続く道
さらに西に進むと、大きな堀切がある。 大きくて、堀底に降りるのにも、また登るのにも苦労する。
しかも、そんな堀切が二つも続く。
そしてその先には「西の城」と呼ばれている郭群がある。

禁裡御料所山国荘を望む
この日、京都は33.5度を記録したが、曇っていたこともあり、また杉山の中ということもあり、さほど汗をかくことはなかった。
案内人(実は、私の実兄)の簡潔で的確な説明にも満足。
周山城メモ
天正7(1579)、明智光秀ら、丹波・丹後を平定。 光秀、丹波を与えられる。
   光秀は亀山城に入り、周山に城を築き、従兄弟の明智光忠を入れる。
天正10(1582)、本能寺の変。
天正12(1584)、豊臣秀吉がこの城に赴いたとの記録があるが、おそらくこの頃廃城になったものと思われる。


 2019年5月26日