本佐倉城(再訪)


「東光寺ビョウ」麓で解説
「東山虎口」
  およそ50人の城好きが、大佐倉駅に集合した。
  最高気温10度の冬の日であるが、風がなく、日差しがあるため、それほど寒くはない。
  今日の訪問は、中世の「本佐倉(もとさくら)城」と近世の「佐倉城」である。
  駅から田園風景の中10分ほど歩くと、本佐倉城の北側に着く。

  この城には、見所が何箇所もある。そのうちの一つの「東山虎口」が最初に見えてくる。当時、この城の北側は印旛沼とそれにつづく大きな湿地帯で、この虎口はその北側からの入り口を守る巨大な虎口である。通路は何度も折れ、その両側に巨大な土塁が築かれている。

「城山(本丸)」への通路
「城山」内部
  この城の本丸は「城山」と呼ばれている。城山に通ずる道はただ一つで、大きくうねっており、見所の一つである。
  城山内部は、最近発掘が行われ、主殿、厨、茶室、櫓、木戸、塀、などの跡が確認され、その配置が地面にロープなどで記されている。この情報が今後どのように使われるのか未定だそうだが、城跡を破壊しない健全な利用を望む次第である。

「倉跡」から堀底への降り道(最大の難所)
「セッテイ」の周りの堀底
  「城山」の他にも、「奥の山」、「倉跡」、「セッテイ」などとユニークな名称のついている郭がある。「倉跡」から「セッテイ」に行くには大きな堀を渡らなければならない。この堀底に降りるのがこの城見学の最大の難所である。高低差は10メートル。ひとりずつ、こわごわと降りる。
  堀底は実に広くて深い。長く続く雑木林がそのまま堀底なのである。これも見所の一つである。


 本佐倉城メモ

   文明年間(1469-87)ころから千葉氏宗家の本城として使用された。
   天正18(1590)年、徳川家康の入国ともに、廃城となる。


  佐倉城(再訪)


案内人(左から二人目が堀田家13代当主)
深くて広い堀(よくみえない)
  本佐倉城の見学が終わるとタクシーに分乗して、佐倉城に行き昼食をとる。全員弁当持参である。

  午後の案内役の一人は、何と、この城の城主だった堀田家の第13代当主である。
  温厚そうでゆったりした話ぶりは、さすがお殿様である。

  この城の最大の特徴は、切り立ったように深くて巾のある空堀である。だいぶ埋め立てられたようだが、それでも随所に残っている。残念ながら、木立が深く、写真うつりが良くない。

本丸内部
本丸隅の土塁
  関東地方の大名の城は、ほとんどが破壊されているのに対して、この城は郭の配置がよく残されている。、その中でも本丸は、建物こそなくなっているが、郭の全体がよく残されている。 本丸は広い郭で、周囲を土塁が取り囲んでいる。

西出丸内部(通路が屈曲している)
水堀の向こうに南出丸を望む
  本丸の西と南に出丸が配置されている。
  西出丸は、城の西側から水堀を経て入る虎口であり、出丸の中の通路が数回屈曲して、防御の深さを感じる。
  南出丸は、城南部の水堀全体の防御の要になっているようだ。

  堀田家のご当主は、我々の見学に最後までつきあっていただいたが、桜も紅葉もないこの時期に熱心に見学する我々を不思議がっておられた。
  ご当主のあげられた佐倉市の名所は、佐倉城、旧堀田邸、順天堂記念館(日本最初の私立病院)の三つだった。


 佐倉城メモ

   慶長16年(1611)、小見川城主土井利勝(1万石)が築城開始。6年後に完成。
   寛永10年(1633)、土井氏が古河に転封となり、代わって石川氏(7万石)が在城。
   その後、形原松平氏(4万石)、堀田氏(11万石)、大給松平氏(6万石)、大久保氏(8.3万石)、戸田氏(6.1万石)、稲葉氏(10.2万石)、大給松平氏(6万石)と城主が変遷。
   延享3年(1746)、再び堀田氏が山形より入部(10万石)し、明治維新に至る。

【佐倉堀田家系図】
 正盛─┬─正信─正休─・・・ 【宮川堀田家】
    └─@正俊─┬─A正仲
          ├─B正虎─正直─C正春
          ├─正高─・・・ 【佐野堀田家】
          └─正武─D正亮─┬─E正順─正功─G正愛
                   └─F正時─H正睦─I正倫─J正恒─K正久─L正典

   正盛 1642松代より佐倉11万石に入封。1651家光に殉死。1660子正信の代に改易。
   @正俊 1681古河9万石城主、大老。1684従兄弟に刺殺される。
   A正仲 1685山形へ転封。
   D正亮 1746山形より佐倉9万石に入封、後10万石に加増。
   H正睦 外国掛老中。井伊直弼と対立。
   I正倫 最後の藩主。後に伯爵。
   J正恒 鍋島家より。
   K正久 昭和34〜50佐倉市長。
   L正典 現当主。
  2010年1月23日