中久喜城   

  小山駅より、水戸線に乗り換える。始発駅なので、電車は既に待っている。空席が多かったが出発時間になると殆ど埋め尽くされた。携帯をかけている若い女性の言葉が東京弁とは違うことに感心する。

  やや定刻を遅れて発車。次の小田林駅の途中に目指す中久喜城があるはずと、ずっと目を凝らしていたが、とうとうわからないまま小田林駅についてしまった。10時半。

  駅は線路の一方側だけにホームと小さい待合所があるのくらいのきわめて質素な駅。ホームには10人くらいの人がいたが、反対側への列車を待っていた人たちらしい。駅に降りたのに駅員も車掌もいない。新宿からちゃんと1450円もの切符を買ったのに、誰も受け取ってくれない。

  駅から北へ、そして西へ十数分歩いて南へ折れる。玄関先の松の手入れをしている人がいて、じろっとこっちを見る。こちらは、受け流す。すぐに人家がなくなり、道の両側は畑になる。天気快晴、気温上々。

   突き当たりの小さな繁みが中久喜城の土塁跡らしい。その手前と右側に小さな堀の跡がある。堀とは言っても小さな窪みである。堀はすぐ隣の民家と接しており、庭の物干しが堀に接している。堀には缶ビールの空き缶などが落ちており、ゴミ捨て場にならないかと心配になる。堀の角に、最近作られたような「中久喜城跡」の石碑がある。

  南側に下りると、さっき乗ってきた水戸線の線路にぶつかる。近くの人が踏み切りでもないところを渡っていったので、その後をついてわたる。城跡らしき痕跡は全くないが、左手に見える城跡の林の廻りをぐるーっと歩くことにする。

  左側が城跡の林、右側は田んぼである。田んぼの水路の脇の農道を歩く。農作業している人が、こちらを見ている。少し歩くと左側に虎口らしき場所を発見。これぞ本丸への入り口。上に登ると、右側(東側)は一辺が50mくらいの正方形に近い形で、田んぼらしく稲の切り株がある。ここが本丸である。本丸の西半分は荒地。虎口も東側は土塁に守られているが、西側は土塁が崩れてしまっており、全く防御にはなっていない。

  虎口を戻り左に折れ、土塁と土塁に挟まれた堀跡を歩く。少し歩いたところで、右側の土塁は消滅し、一挙に見通しがよくなる。廻りは田んぼと畑である。田んぼの向こうに川があり、その向こうに高速道路が見える。本丸の土塁は左に折れる。土塁に沿って農作業用の車の跡がある農道が走る。畑で農作業中の親子(母と男の子)が、何かを燃やしている。この辺の畑は落花生の畑だ。本丸の土塁が切れたあたりで踏み切りに出会う。これでこの城跡は終わり。

  土塁の高さ、堀の深さは人の背丈の二倍くらい。城として機能していたのは、中世中期までであろう。とても謙信や北条氏の時代には使い物にならない、などと思う。そんなことを考えながら進むと、この城跡を一周して先ほどの石碑の前までくる。ここで、中久喜城と別れる。


  小山祇園城   


  次は小山の本城、小山祇園城を目指す。小山市中央までの道は西にまっすぐ、約4kmある。リュックをしょってテクテクあるく。昭和アルミ、富士通などの工場が左右に見える。バスでも走っていれば乗ろうかとも思ったが、バスやバス停は全く見当たらない。タクシーも見ない。

  骨董屋さんがあったので、覗いてみる。客はだれもいない。六大学ベーごまや、昔懐かしいラジオの真空管が並べられている。手にとって見ていると、大きな蜂がブーンと飛んできた。「じっとしていた方がいいですよ」。若い骨董屋さんが言った。この日、私に声をかけた唯一の人である。

  下にJRの在来線、上に新幹線を同時に横切り、小山市の中心部に近づく。左右に大人の遊び場所が集中している。小山のピンクゾーンだ。
  目の前に小さな丘が見える。目指す小山城(祇園城)だ。このあたりから、道はまっすぐには進めない。城下町なので、故意にまっすぐ進めないようにしているのか。折れ曲がり折れ曲がりしながら進む。城山のふもとで道は自然に堀跡に続くが、左右に分岐する道がある。左は本丸に登る階段、右はなだらかな二の丸に登る道である。右に進むことにする。

  やっとコンクリートの道をはなれ、土の上を歩ける。二の丸は思ったよりきれいだ。昼食時になっているためか、人影は殆どない。角に小さな郭がある。ベンチがいくつかある休憩所がある。堀は思いのほか深い。中久喜城とは大きな違いだ。小さな郭と二の丸とをつなぐ橋を渡ったところにも休憩所がある。西側の土塁あたりから思川の流れが眺望できる。ここで弁当を食べることにする。手を洗う水道のあるのがありがたい。

  橋を渡って二の丸の北側の郭へ行く。橋の下の堀には小川があり、水が流れている。昨日来の雨をためた湧き水の流れなのか、きれいな水だ。川の側まで無理して降りていけないこともなさそうだが・・・。北側の郭は三の丸か。回りに土塁をめぐらしている。川に近いところは崖崩れ注意の標識があるが、思川への眺めはすばらしい。

  堀に下りる階段をおり、堀を東の方に進む。堀の北側は墓地、南側は民家。堀はだんだん広くなり、そのままゲートボール場となっている。堀を反対側の西に進むと、端には大きな鉄塔があり、その近くから思川へ降りていける階段がある。

  思川に行くのはあきらめる。堀の下の鉄塔のところからから見上げると、さっきまでいた二の丸の北の郭の土塁が見える。10mくらいの高さか。急勾配であるが、登れそうだ。思い切って登る。両手を前について、這い上がるようにして登る。滑らないように気をつけて登っていったが、数日前に降った雨のせいですべる。途中で後悔したが後に戻るのはもっと危険。やっと上まで這い上がる。しかし、手にしていた地図を泥で汚してしまった。

  昼食の時間帯が終わったせいか、城の中には散策している人が数人見え始めた。犬をつれた人もいる。「犬の散歩禁止」の標識があるのに。二の丸の南側は小さな公園になっている。母親と二人の小さな男の子が自転車で来て、子供たちがブランコに乗り、小さな方の子が「おかーさーん、押してよ」とせがむ。ベンチに座りかけていた母親は「おかーさん疲れているのよ」と言いながらも、子供のほうに向かう。昔、娘や息子のブランコをよく押したなー、と思い出す。

  二の丸の南側の橋を渡ると本丸跡。こちらは、公園化しすぎており、庭園、碑文などがあちこちにある。それでも廻りの土塁跡はしっかり残っている。土塁跡の上をぐるっと巡ってみる。めったに人が歩かないせいか、土塁線を塞ぐかの様に蜘蛛の巣がはっている。大きな蜘蛛が獲物を待っている。背をかがめて、壊さないように通りぬける。近世初等にも使われたはずなのに、この城には石垣がまったくない。

  本丸の南側の虎口をぬけると、再び一変して市街地を通り抜ける道路に出る。次のもうひとつの目標の小山城(鷲城)に向かう。ここからは2〜3kmの南。また再び市街地の中、コンクリートの道を歩く。右側に小山市役所がある。関が原合戦の直前の小山会議は、このあたりだったはずだ。

  歩くこと約2km、足が少しだるくなる。気のせいか雨?。このまま進むと・・・と考え、雨のせいにして、鷲城を断念、小山駅に引き返す。時に午後2時。3時間半の散策であった。

  2000.10.8