武蔵三ツ木城・石戸城
今回の城郭史学会のバスツアーは
武蔵中央部の小さなお城を訪問する。
@ 泉福寺
A 三ツ木城
B 石戸城
C 蒲桜
@ 泉福寺
泉福寺
上杉謙信が上杉憲政の養子となり、関東管領職に就任するため、鎌倉に行く途中に立ち寄ったお寺とされている。
荒川河川敷に面したところにある。
泉福寺メモ
天長6年(829)の開闢。
永禄3年(1560)、長尾景虎(上杉謙信)、北条氏康と戦うため、2万の兵をもってこの寺に布陣。
A 三ツ木城
二つの土塁間の空堀
内側の土塁上によじ登る
三ツ木城は、「城山公園」のそばの小さな小山である。
城域は私有地で、かつその脇では縄文遺跡の調査発掘が行われており、通常なら立ち入れない場所だが、市の職員の案内で、発掘現場を通過して城域にまで立ち入れた。
城の本郭部分は、一面竹藪に覆われた三角形で、その2辺に二重土塁が巡らされている。
外側の土塁はさほど高くないが、内側の土塁は比高10メートル以上あり、よじ登るようにしてなんとか上までたどり着く。
土塁は、三角形の本郭の二辺に巡らされている。 内部は一面の竹藪で、写真写りが全く良くない。
三ツ木城メモ
頼朝が挙兵したときに駆けつけた足立遠元の居城との説もあるが???
後、北条氏の岩槻城の支城となった???
B 石戸城
荒川河川敷から眺めた城域
一夜堤
ここにお城があったらしいが、その面影は全くない。
本郭とおぼしきところはただの小山、郭とおぼしきところは民家と畑、空堀とおぼしきところはただの窪地、土塁とおぼしきところはまったくなし。
わずかに荒川河川敷から眺めると、切り岸らしく見える。
また、裏手にはこの城を攻めた北条軍が一夜にして堤を築いたと言われる「一夜堤」がある。
石戸城メモ
長禄年間(1457〜69)、扇谷上杉氏の家臣藤田氏が居城。
大永5年(1525)、岩槻城主太田資朝が、家臣によって追われたときこの城に逃れた。
永禄5年(1562)、北条氏邦がこの城をこの城を攻め落とす。このとき一夜堤を築いた。
C 石戸蒲ザクラ
石戸蒲ザクラ
古い石戸城があったらしいところは、現在神社があり、そこに1本の老桜がある。
蒲の冠者(源範頼)が植えたという桜(の2代目?)である。 残念ながら、まだ全く咲いていない。
蒲ザクラメモ
源範頼がこの地に立ち寄ったとき、持っていたサクラの杖が根付いたとの伝承がある。
三春の滝桜などとともに、日本五大桜の一つ。
国指定の天然記念物。
2017年3月25日