大 庭 城



  大庭城    地図

(Googleマップより)
  このところ関東地方には寒波が襲っている。 今日も最高気温6度である。 しかし、少し日差しがあり、風が少ないのが助かる。
  今日の城郭史学会の見学会に参加したのはおよそ50名。
  藤沢駅から1時間に1本のバスに乗り込む。 バスは、ほとんど我々だけで満員である。


南方より見た外観
第T郭に向う
  10分ほどバスに乗り、「舟地蔵」というバス停で降りる。 目の前に城址がある。
  城は、典型的な舌状台地を加工したものである。 東の引地川と西の小糸川が合流するところにあり、南北に4つの郭が連続している。 便宜上、南から第T、U、V、W郭と名付けられている。 郭間の高低差はほとんどない。
  城址全体は「大庭城址公園」となって、歩きやすい道が整備されている。
  地図の第W郭の北側は、現在は住宅街になっているが、当時はこの一帯も城郭の一部だったらしい。

第T郭内部
第V郭内部
  4つある郭は意外と広い。 第T郭には、発掘された柱穴跡に石が展示されている。 案内者から、柱間の幅が2.1メートルあり、この独特の長さが建築された時期を物語っているとのことである。
  第U、V、W郭の境界は明確でないところがあるが、公園になっており、東屋が多い。 散策している人や、弁当を食べている人たちが目につく。

第T、U郭間東側の空堀
第U、V郭間東側の空堀、両側に土塁
  郭間は、空堀で仕切られていたはずであるが、現在ではその大部分は失われている。
  しかし、第U、V郭間東側の空堀は、両側に土塁を備え、かつ途中で90度屈曲している。 空堀の深さ、土塁の高さ、ともに数メートルあり、見応えがある。

第U郭西側の横堀と二重土塁
第U郭西北隅の土塁
  郭は、ほぼ全周にわたって土塁、横堀、二重土塁に囲まれていたそうだが、現在でもその一部を見ることができる。
  また、第U郭西北隅部には馬出と三日月型の空堀があったそうだが、現在ではその片鱗もない。 残念。

  帰りのバス、藤沢駅近くで渋滞に巻き込まれ、40分近くかかった。


【大庭城メモ】


  1117年、鎌倉権五郎景正、私領を伊勢大神宮に寄進。「大庭御厨」と称される。
  1144,45年、源義朝、大庭御厨に乱入。
  1180年、富士川の合戦後、大庭景親、源頼朝により殺される。
  1213年、大庭景兼、和田義盛の乱に加担したとして殺される。
  1457年ころ、大田道灌、大庭城を築城。この後、扇谷上杉定正、朝良在城。
  1512年、北条早雲、大庭城を攻略。
  1559年ころ、玉縄衆として福島左衛門道水、大庭城主180貫文。
  1590年、小田原合戦。このころ大庭城は廃城となる。

   鎌倉景正─景経┬大庭景宗┬景能─景兼
          │    └景親
          └梶原景良─景時

2012.1.28