小倉城   


東方より見た遠景
 埼玉県の比企地方には、上杉・北条時代の多くの城がいい状態で残されている。「小倉城」もその一つである。
 友人が「比企の中世・再発見」と、「比企城館館群」という本をくれたのに刺激されて、この城を訪れる。
 城は、東武東上線の「武蔵嵐山駅」から5キロ南にある 駅前でタクシーに乗ったが、運転手さん曰く、
 「へー、そんなところにお城がありましたっけ。」
 小さな寺の前でタクシーを降りる。
 案内板が全くないが、お寺の裏山に細い山道があったので、そこから登る。


本丸内部
本丸(右)・二の丸(左)間の掘切
 木立の中を数分登ると、本丸の虎口が迎えてくれる。本丸は、思ったより広い。そして周囲を土塁が取り囲んでいる。


本丸の虎口
本丸の虎口
 この城の大特色は、虎口の多さである。本丸周辺にはいくつもの虎口がある。
 そしてこれらの虎口や、その周辺の土塁、横矢係りの配置がみごとである。 この城に侵入した敵は、一つの虎口を落としても、次の虎口へは方向をかえざるを得ず、そしてその間中ずーっと横矢にさらされる。


石垣(本丸の東側の曲輪)
石垣(本丸の虎口のひとつ)
 もう一つの特色は、石垣が多いことである。この時代の山城にしては多い。
 それほどは大きくない板状の石が、何箇所かで積み重ねられている。


二の丸西側の櫓台
城の南側の沢
 二の丸は、城の西からの敵の侵入を阻んでいる。侵入者は、土塁、櫓台からの攻撃にさらされ、縦堀によって行く手をさえぎられる。

 城の見学を終えて、細い道を降りていったが、そのうち道がなくなる。こんなところで道に迷ったか、と少しは心配したが、要所要所に赤いテープの目印があり、それを信じて降りると、沢に出た。
 沢を抜けるとやっと元の道路に出た。やれやれ。

 帰路は、武蔵嵐山駅まで歩く。早足で歩いても、1時間以上かかった。



 2008年10月5日

 小倉城メモ

   元亀・天正のころに、北条氏の家臣、遠山光景が築城したと伝えられる。
   また別の説では、松山城主上田氏(最初上杉氏に仕え、後北条氏に仕える)の築城と伝えられる。