小田城



  小田城    地図

(「つくば市教育委員会」の資料より)
本丸北側の丸馬出の痕跡
(草地の部分が空堀部分)
  「城郭史学会」主催の見学会、「小幡城」の次は「小田城」である。
  ここは南朝の忠臣、北畠顕房がこの城で「神皇正統記」を著したことで有名で、そのため国の史跡になっている。
  城域は、住宅街と接しているため、住宅街の中にも城の痕跡を見つけることができる。


南方よりみた小田城本丸、後ろに筑波山
本丸内部
  全く起伏がないところに築かれた城であるが、南側がわずか2メートルほど低く、当時は湿地帯だったようだ。
  本丸は1町四方の方形で、いわゆる「方形館」。 内部には全く何もなく、まっ平らの平地である。 北畠親房の時代は、この方形部分だけが城だったらしい。

本丸北東の矢倉台(鐘撞堂)
本丸南東の矢倉台(涼台)
  本丸の周囲には土塁と空堀が巡らされていたはずであるが、現在でもその痕跡を随所に確認できる。
  北東隅と南東隅に矢倉台とおぼしきところがある。 特に南東隅の矢倉台はすばらしく、本丸郭より外にはみ出し、横矢がかけられるようになっている(北畠親房の時代ではなく、ずっと後世の改修だろうとの説明)。
  本丸の周囲の空堀は、昨日までの雨のせいで水堀になっている。 水堀の面に映る矢倉台がまたすばらしい。

復元中の馬出
本丸東側の空堀
  城域はつくば市の城址公園になりそうで、土地の買い上げ、整地、そして模倣郭などが出現しつつある。 本丸南西隅に馬出郭を再現しているが、定規で測ったような造りに非常なる違和感を覚える。 歴史を無視した”城址公園”にだけはしないで欲しい。

  1時間余の散策であった。
  散策が終わると、地元の会員の方から、さつまいも、ゆず、どら焼きの差し入れがあった!

 小田城メモ
  文治元年(1185) 八田知家(小田氏祖)が常陸守護となり、居館を構える。
  南北朝時代、城主小田治久が南朝に属し、北畠親房がここで神皇正統記を執筆する。
  永禄年間、小田氏は、佐竹、多賀谷、真壁、上杉(謙信)、北条氏などと抗争を繰り返す。
  永禄12年(1569) 小田氏は佐竹氏と戦って破れ、この城は佐竹氏の持城となり、太田資正、梶原政景、小場義宗などが城主となる。
  慶長7年(1602) 佐竹氏の秋田移封に伴い廃城。

2010.11.27