小幡城


「笑点」のメンバーの春風亭昇太さんは城好きで有名です。
そんな彼に、友人の立川志の輔さんが小幡城に誘われました。
目の前に広がる光景ときたら、田んぼとあぜ道、入り口には立て看板が一枚。奥の方に山を削り取ったような細い道と雑木林があるだけで、閑散としています。
タクシーの運転手さんが場所を間違えたんだろうと思っていたら、昇太さんの口から出て来たのは
「すげえ、こんな凄いの見たことない!」という叫び。 (毎日新聞より)

  小幡城    地図

(「中世城郭事典」の図を編集)
  今日は「城郭史学会」主催の見学会に参加した。
  小幡城は、規模と遺構の残り具合が関東最大級の城跡の一つで、是非とも見学したかったのだが、アクセスの不便な点でも最大級。 石岡市と水戸市中心部のほぼ中央にあり、その間を1時間に1本のバスがあるだけである。
  その点、バスツアーの見学会は都合がいい。 東京駅から貸切のバスですぐ近くまで連れて行ってくれる。

西方よりみた小幡城
城から眺めた東側の田園
  バスを降り、畠の中を歩く。 キャベツ、にんじん、ねぎなどの広い畠の中を進むと、目の前に城跡が見える。
  城の西側は畠であるが、北側には「寛政川」という川、東側と南側は田で、城のあったころは湿地帯だったことが想像される。 したがって、この城は、西方の防御に主眼がおかれている。

入口(地図A地点)
土塁と空堀(AとB地点の間)
  入口につくと、すぐさま巨大な土塁と空堀が向かえてくれる。
  そして、しばらくの間、高い土塁に囲まれた空堀の中を進むのだが、このルートが何回も屈折し、自分の方向感覚を失ってしまう。 (地図のA⇒B)
  堀底から眺める土塁は高く、低いところでも4〜5メートルはある。 その巨大さと複雑さに、城好きのツアー一行も大感嘆。
  驚いたのはそれだけではなく、郭を伴わない土塁が多数あることである。 つまり、空堀の中に土塁だけが独立しているのである。 しかも、高くて長いのである。 
  
土塁と空堀(地図B地点)
本丸に通ずる土橋(地図C地点)
  
本丸内部の土塁
本丸内部
  本丸は方一町のほぼ正方形で、いわゆる「方形館」の形をなしている。 戦国時代よりもっと早い時期に、この城の前景があったような気もする。。
  本丸の周囲をぐるりと土塁が取り囲むが、その高さ高いところでは、5メートルを優に超える。

本丸東南隅の外枡形(地図D地点)
空堀より見上げた本丸北東隅(地図E地点)
  本丸東南隅には外枡形横矢がある。(写真では確認しにくいが)
  北東隅の土塁は、下からみると10メートルはありそうである。
  歴史上は余り出てこず、城主名も定かでない。
  この城を守るには、数千人規模の兵が必要で、佐竹級の大大名でなければ維持できそうにない。
  ただし、この城のどこにも虎口の仕掛けらしきものがどこにもなさそうだ。 また、馬出も見当たらない。
  ちょうど2時間の散策であった。

 小幡城メモ
  応永24年(1417)、大掾氏が築いたといわれている。
  天文元年(1532) 江戸氏が奪う。
  天正18年(1600) 佐竹氏が江戸氏を攻める。
  (1602) 佐竹氏の秋田移封に伴い、廃城となる。

2010.11.27