岡 の 城



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  日本城郭史学会主催の「岡の城、難波田城見学会」に友人と一緒に参加した。
  久しぶりの見学会でもあり、秋の好天気ともあって、ご夫婦連れの参加も多く、50人くらいの大勢である。
  まずは、集合地「朝霞台駅」より荒川の支流黒目川ぞいに歩く。
  秋になったとはいえ、日差しの中はやや汗ばむ。

全景
  少し歩くと、畑の向こうに小高い山が見える。これが「岡の城」である。
  城は黒目川沿いの小高い丘に築かれている。立地条件としてはすばらしいところである。
  城は丘の最高部を本丸とする連郭式であり、西ケ谷先生によるとこの形式は江戸城と非常に似通っており、太田道灌の築城説もうなづけるとのことである。

本丸
掘切
  本丸と二の丸は、この時代の城にしては広い。周囲に土塁があったのだろうが、年月で失われている。
  本丸と二の丸の間、および二の丸と三の丸の間には掘切がある。現在は藪に覆われまたあまり深くないが、往時は急崖の掘切であっただろうと推測する。

  岡の城メモ
  1457年ころ太田道灌が築いたとの説があるが詳細不明。
  

  難 波 田 城   




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  「朝霞台」駅に戻り、東上線1駅の「みずほ台」に移動し、タクシーに分乗し「難波田城資料館」に向かう。
  「難波田」は「なんばた」と読む。その証拠に、このあたりの古い地名は「南畑村」である。
  真昼を過ぎるとやや日差しも弱くなり、しのぎやすくなる。

城域の地図
北側より眺めた二の曲輪と資料館方向
  資料館と”よく整備された公園”の見学は後回しにして、まず城域の周りを一周する。
  田畑と人家があるだけの全くの平地で、とても城跡とは思えない地形である。 資料の地図と照らし合わせながら、何とかここが郭、ここが外堀・・・などと確認しながらぐるっと一周する。

堀と郭跡らしいところ
公園内部
  わずかに堀と郭の境目らしきところもあるが、それとて高低差が1メートルあるかどうかである。
  よくもまあこんな平地に城を築いたものだと感心する。
  内部の公園は、当時の本丸部分とその周辺の水堀の形状をかたどってはいるらしいが、”城跡”ではなく”公園”である。
  公園内にある「富士見市立難波田城資料館」は、小規模ながら、古地図、古文書、発掘品など密度の高い品が展示されている。



  深沢城メモ
  上杉氏の重臣難波田弾正正憲の居城。
  1546年の川越合戦で難波田弾正が戦死すると、北条氏の家臣上田周防守の居城となる。
 2009年9月26日