七 尾 城




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  娘夫婦が七尾城へ連れて行ってくれた。
  昨日来、時折雨模様だが、今日はなんとかもちそうだ。
  麓の資料館から車で約15分で駐車場に着く。すでに数台の車が止められている。中にはタクシーを待たせたまま城見物をしている人もいるようだ。

調度丸上の石垣群
調度丸から本丸方向に進む
  駐車場から一周50分の散策コースが作られている。まずは、この城の玄関口ともいえる「調度丸」に行く。
  野面積みの石垣のため、個々の石垣はさほど高くなく、高さが必要なところは数段の石垣群になっている。

本丸への石段
本丸
  「本丸」は意外と広い。眼下に七尾市街がよく望める。
  「七尾城跡」の石碑が大きい。
  天正5年(1577)9月26日、この城を落とした上杉謙信は、本丸で
    霜満軍営秋気清 数行過雁月三更
    越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征
の詩を作ったという(おそらく別人の作)。この歌碑があるかと思ったが、ない。麓の資料館でも気づいたことだが、どうもこの土地の人たちは、畠山氏を偲びこそすれ、上杉氏のことはあまり快く思っていないようである。

本丸から二の丸方向への降り口
二の丸内部
  山頂には本丸のほか、「二の丸」と「三の丸」の郭が並び、それらの間に数多くの郭が配置されている。
  どの郭も広く、平坦で、高い。土塁や土橋は目立たないが、要所要所には石垣が組まれている。

三の丸下からの眺め
調度丸への戻り口
  「三の丸」は、この城の中で最大の広さがあり、長さが100メートルくらいもある。
  三の丸を下におりると、城をぐるっと巡るような平坦な小道がある。
  そこから見る七尾市街と七尾湾の眺望もまた見事である。

  しばらく歩くと出発点の調度丸に戻る。一周50分のコースであるが、我々には80分かかった。


  七尾城メモ
  1515年、畠山7代義総、能登守護となる。このころ七尾城を築城したようである。
  1545年、8代義続の代になると、一族・有力家臣たちの争いがあり、家勢が衰える。
  1576年、越後の上杉謙信、七尾城を囲む。上杉勢8000、畠山勢2000。
  1577年、七尾城陥落し、畠山氏滅ぶ。
  1581年、織田信長の領するところとなり、前田利家が入国。
  1582年、前田利家は小丸山城を本拠とする。七尾城には前田利政が入る。
  1589年、七尾城は廃城となる。

【能登畠山氏系図】
  足利義康─・・┬・・
         └奥州畠山氏
            ├美濃畠山氏・・
            ├河内畠山氏・・
            └能登畠山氏・・基国─@満慶─A義忠─義有─B義統┬CE義元
                                     └D慶致─F義総─G義続┬H義綱┬I義慶
                                                 │   └J義隆─K春王丸
                                                 └義春─・・─<江戸幕府高家>

 2009年8月8日