本佐倉城
成田行きの京成特急電車を佐倉駅で乗り換え、一つ目が「大佐倉」駅である。
本佐倉城(もとさくらじょう)は、この駅の東南に10分ほど歩いたところにあり、佐倉市でなく、酒々井町にある。この町は「しすい」と読むそうな。
城の主部は、4つの曲輪が東西に並んでおり、西から、「セッテイ山」、「倉跡」、「奥ノ山」、「城山」と呼ばれている。「本丸」とか「二の丸」などと呼ばないところが面白い。
@「大佐倉」駅から南下し、「史跡本佐倉城」の案内標識にしたがって小高い丘に登り、畑中の道をすすむと、やがてセッテイ山西側の空堀に連なる。
A「セッテイ山」とは、へんな名だ。「接待」するための館があったためともいわれている。
セッテイ山西側の虎口が残されている。 曲輪は思ったより広いが、一面杉の林である。
Bセッテイ山とその隣の間は、深くて広い空堀になっている。堀の底へは、階段がついている(もちろん現代の)。掘底から倉跡への階段はもっと急で、このところの雨で湿っており、滑りそうである。
なんとか登りきったら、なんと倉跡からはロープでふさがれている。
C倉跡はとにかく広い。 畑と草原になっている。 北の方にむかってやや傾斜がある。 周囲に土塁は見当たらない。
D倉跡より少し高い位置に奥ノ山がある。いわゆる二の丸である。一部に土塁がのこっている。 ここも草原である。
ここもかなりの広さである。
E奥ノ山と隣の城山の間は深い空堀で、直接つながった道はない。いったん倉跡にでて、城山に行く。
城山の入り口は登り坂のままで虎口になっており、「坂虎口」と呼ばれるそうである。
F奥ノ山と、城山には随所に調査中の穴があり、今日は休日のためかビニールシートがかぶせられている。シートのないところを見ると2メートル近く垂直に切り立った穴になっている。切断面には特に変わった様子はない(素人目のせいか)。
G城山を後にする。少し城から離れた農道を歩くと、菊の畑があり、菊の花と城山の対比が面白い。
H城山群の南側200メートルくらいのところに、独立した山がある。「奥根古谷」と呼ばれている。
内部は、北側に大きな郭があり、南側に馬出曲輪にしては大きすぎる郭がある。 これらは深い空掘りで守られている。
共に内部は、畑になっており、北側の大きな郭には、神社がある。
2003年10月26日
本佐倉城メモ
文明年間(1469-87)ころから千葉氏宗家の本城として使用された。
天正18(1590)年、徳川家康の入国ともに、廃城となる。