武州松山城(2回目)   


復元想像図(クリックすると拡大表示します)
案内図(クリックすると拡大表示します)

  今年は暖冬で、今日は1月というのに気温が13度もあり、3月下旬の陽気だそうである。
  城郭史学会の見学会で武州松山城を訪問する。 この城への訪問は2回目になる。 最初に訪問したのは、2000年11月だったから、6年ぶりである。

   
岩屋観音からみた竪堀
竪堀を上からみたところ

  道路際に「岩屋観音」という高楼があり、そこが城に続く竪堀となっている。 鎌倉の切り通しを思わせる風情である。
  もっともここは竪堀というより、市野川に続く船着場があったのではないかとも思われる。

     
大手口:三の丸(左)と城外(右)間の空堀
三の丸(左)と春日曲輪(右)間の空堀
  この城に登る人は、普通は城の西側から登るそうだが(私が6年前に来たときもそうだった)、今日は詳しい先達の案内で、この城の本来の大手口から登城することにする。
  何の標識もない畑の横の小道がその大手道で、すぐに空堀が待ち構えている。三の丸の東側の堀である。
  三の丸を横切ると春日曲輪、二の丸と続くが、それらの間にもまた空堀がある。

   
三の丸
二の丸

  この城の大きな曲輪は、市野川に面した西側から、本丸、二の丸、春日曲輪、三の丸と連続していが、すべて不規則な形状の平坦地である。どの曲輪も藪が払われて歩きよい。 

     
本丸(向こう)と二の丸(手前)の間の空堀
堀底から本丸を眺める
  本丸は最も高く、二の丸との間の空堀は深い。 底に降りてみると、本丸まで7メートルある。 堀底には落ち葉が積もっているため、当時はさらに1、2メートル深かっただろうと思われる。

   
本 丸
本丸(6年前)

  6年前この城を訪れたときこの城跡は、一面の雑木林で、堀底を歩ける状態ではなかった。
  その時(11月)は、季節の違いもあるのだろうが、林の中に迷い込み迷子になりかけたことがある。 本丸は他よりは歩きやすかったのだが、それでもその時と今日の写真を比較してみると、その後の城跡整備がよく分かる。

   
惣曲輪とその向こうに土塁跡
本丸西側の斜面

  不思議なことにこの城には、虎口や馬出しが見当たらない。 曲輪の周囲の土塁も見当たらない。 わずかに北側の惣曲輪に土塁跡があるらしいのだが、私有地のため探検は差し控える。
  城の西側は、急な斜面である。 当時は斜面はそのまま市野川に接していたため、こちら側は天然の要害になっていたものと思われる。
  
  復元想像図は、西ケ谷先生の「戦国の城(上)」を利用しました。

  2007年1月27日