丸子城


  丸子城    地図

地図
登城口
  丸子(まりこ)城は、東海道丸子(鞠子)の宿を見下ろす位置にある。
  一昨年、この城の見学会が計画されていたが、あいにくの雨で中止。
  今回は、そのときの案内人(小高さん)が個人的に主催して行われた見学会。 20人以上の城好きが参加。

  麓から、いきなり急階段の山道が続く。 はーはーしながら10分余登りきると、直接本曲輪に到着する。

土橋状土塁(模式図)
土橋状土塁(手前本曲輪、左外堀、右内堀)
土橋状土塁(手前外掘、左帯曲輪、右本曲輪)
  この城には、みどころがいくつかある。

  その一つが、本曲輪その西側の帯曲輪の間にある土橋状土塁である。
  なるほど、両曲輪を結びつけるようなところにあり、地図で見る限りでは土橋にみえるが、両曲輪からあまりにも低いところにあり、土橋としての機能を果たし得ない。
  小高さんの説明によると、外掘から攻めてきた敵がこの土塁の先にある深い内堀を見通せない仕掛けであろうとのこと。

長大竪堀
長大横堀
  次は、西斜面にある長大竪堀である。
  先端まで見通せないのは残念だが、深く切り取った堀は、明らかに人工の造形物である。
  この形状を見ると、他のいくつもある竪堀らしきものがすごく見劣りがする。
  小高さんの説明によると、他のものは全て人工の竪堀ではなく、自然の崩落に違いないとのこと。

  本曲輪から二の曲輪と北郭の西側に続く長い横堀も面白い。 さほど深くはないが、延々と100メートル以上続く。

武者隠し(南)
武者隠し(北)
  次は、その横堀にある二か所の武者隠しである。
  南側のは、横堀の一部が半月状に外に膨らんでいる。 明らかに窪みの中に、数人の武者が潜める仕掛けである。
  北側のは、横堀の外側に半月状の出曲輪らしきものである。 こちらは、上部に矢倉があってもおかしくない。
  二つの武者隠しが協力しあうと、十字砲火のような攻撃ができそうである。
  
三日月堀(南)
三日月堀(北)
  最後の見どころは。三日月堀である。
  南側にあるのは、長大竪堀からの敵を攻撃する丸馬出を取り囲む堀である。 長さはあるが、さほど深くも広くもなく、掘というより溝に近い。
  一方北側のは、より大きく、数メートルの深さがある。
  どちらの三日月掘も、三日月というより円弧状であり、ほぼ半円周くらいの長さである。

小高さんのまとめ
  最後にまとめとして、小高さんの解説。
   ・この城は、西側は土塁・横堀・竪堀など厳重に守られているが、東側は貧弱で、土塁さえほとんどない。
   ・北曲輪内部は平坦ではなく、傾斜がある。 またその東には全く未完成の曲輪がある。
   ・これらからみると、この城は、城全体が未完成のまま廃城になったものである。 何度かにわたって改修されたというのではない。

  2時間くらいの散策。 暑くなく、寒くなく、天気快晴。 見どころ満載のお城であった。

  梅若菜まりこの宿のとろゝ汁
  お土産にインスタンスとろろ汁を買った。

 丸子城メモ  (以下、伝承のまま)
   応永年間に、今川氏の家臣斎藤氏が居城として築く。
   永禄12年(1569)、武田信玄が今川・北条と争ったとき、家臣の山県昌景が築く。
   天正9年(1581)、コ川家康の所有となる。
   天正18年(1590)、コ川家康の関東移封に伴い廃城となる。
2016.1.10