真壁城



  真壁城    地図

本丸内の空堀
二の丸虎口付近の堀と土塁
  片野城からバスで1時間、真壁城に着く。
  真壁城の案内人は、桜川市教育委員会の宇留野さんである。 佐竹氏の一族の末裔らしい。
  城の本丸跡には、大きな体育館が建てられているが、一部空堀(水堀?)で囲まれている。

はるか筑波山
広い郭
  本丸の西側は住宅地であるが、東側は広大な郭群である。
  東西に300メートル、南北に200メートルくらいありそうな広場が、空堀と復元された土塁でいくつかの郭に区切られている。
  大きく二の丸、中城、外曲輪と名付けられている。
  復元された土塁の総延長は100メートルを超えそうである。 本物の土塁より1メートルほど低く、勾配はより緩やかに復元されているそうである。

外郭南側の虎口
鹿島神社
  城の整備事業はまだ進行中である。
  最南端には不思議な虎口が工事中である。 数十メートルの細長い虎口である。 朝鮮の倭城にも似たような例があるとの、西ケ谷先生のお話。

鹿島神社裏の土塁
伝承館
  城郭の最東端に鹿島神社がある。   問題はその裏側である。 ここに土塁と、その向こうに深ーい空堀がある。 東側の山からづづく民家と田畑から切り離した堀切が広大化したもののように見える。 とにかく幅広く、深い。 人手で造ったものとは信じられないくらいの雄大さである。 しかし、深い藪で、写真にその情景を映し出せないのが残念。

  最後に城の西側にある「伝承館」を見学する。 ここは、江戸時代真壁陣屋があったところである。


 真壁城メモ
  応仁の乱後、真壁朝幹が真壁城を築城
  1569年、手這坂の合戦(小田⇔佐竹・真壁)
  1602年、佐竹氏秋田移封に伴い、真壁氏も秋田に移る。
  1606年、浅野長政、隠居領として真壁5万石の藩主となる。
  1622年、浅野長政の三男長重、笠間藩主となり真壁も領有する。
  1645年、浅野長直、赤穂に移封。 真壁は廃藩。

2012.11.24