北関東名城ツアー


関西に住む兄が、百名城のうちまだ行っていない
関東の7城に行くというので、同行させてもらった。

3日間で7つの城に行く計画だったが、せっかくだからと
杉山・小幡の2城にも立ち寄った。
@ 川越城(百名城)
A 杉山城
B 鉢形城(百名城)
C 箕輪城(百名城)
D 金山城(百名城)
E 足利氏館(百名城)
F 水戸城(百名城)
G 小幡城
H 佐倉城(百名城)

   @  川越城   

本丸御殿には学生さんも多い
無残な姿の富士見櫓台跡
まずは川越城。 この城は本丸御殿だけでもっている。 数年前に改修され、きれいになっている。 その御殿には今日も学生さんたちの団体客が来ている。
堀や土塁が殆ど見られないのは、他の関東の近世城郭(前橋、宇都宮、岩槻、・・・)と同様、明治初年に明治政府によって破壊されたためである。
この城の天守とも言うべき富士見櫓台の跡が、無残な姿をさらしている。 復元想像図などとのギャップが大きい。

   A  杉山城   

いつもきれいに掃除されている
同左
杉山城は、城作りの教科書のような城なのに、その歴史がわからないことが多く、日本百名城にも選ばれていない。
しかし、最近発表された続日本百名城には選ばれているから、よしとしよう。
この城は、いつ来てもきれいに整備されている。 市役所の仕事なのか、ボランティアの奉仕なのか、どちらにしても感心する。

   B  鉢形城  

三の丸の「復元石積土塁」
復元された四脚門
この城は、広い。 あまり高低差はないところに、一つ一つが広い郭群が多い。 しかしそれらのつながりが今ひとつわかりにくい。 虎口も殆ど見られない。
数年前に来たとき、石垣の一部が掘り出されていたが、その部分がきれいに復元されていた。 不思議と、郭の外部の石垣ではなく、内部の石垣である。
また、門も復元されている。

   C  箕輪城   

やっと見つけた「白川口埋門跡」
大堀切から眺めた「郭馬出西虎口門」
この城にも大堀切の手前に門が復元されている。 大堀切の中に入って見上げられるのが素晴らしい。
15年前に来たときに見た「白川口埋門跡」の石碑を探していたら、道路の向こう側にやっと見つけられた。

   D  金山城   

近代的な側溝
鉛の板はぐぐっと下
何度見ても、この巨大な石組みには違和感を覚える。 中世の城というより、近代の城である。
本来あった石組みと後に想像で積み上げた石組みの間に目印の鉛板があるというので、探してみたら、あった!
何と、地面からほんの20センチくらいのところである。 つまり史実はほんの1割程度ということか。

   E  足利氏館   

境内では小学生の写生会
きれいな周囲の堀
新田の次は、足利の里。  百名城に選ばれてはいるが、ここは現在では城跡ではなく、寺院である。
ただし、周囲をきれいな堀で囲われている。
境内では小学生の写生会、みんな古色蒼然としたお寺を四苦八苦しながら描いている。

    F  水戸城   

大きな空堀が残る
大手門の建設が始まっている
ここも御三家のご威光で百名城に選ばれている。
城域は幾つかの学校となり、堀は道路や鉄道と化している。
わずかに空堀を見ることができるが、それらもさほど深くない。
大手門の復元工事が始まったばかりのようで、道路脇の土塁に迂回路を作る工事が進行中であった。

   G  小幡城   

堀底の道
土塁上の道
水戸から次の佐倉までの間にある「小幡城」、無印の城ながら、寄り道をしてでも是非見に行こうと兄を誘った。
カーナビにも登場しないので、少し心配したが、それでも迷わずに到着。
深くて長い堀底、切り立った細長い土塁群、柔らかい土の上を歩くのは心地よい。

   H  佐倉城   

土塁上の野花
きれいに再現された馬出前の空堀
佐倉城で残っているのは本丸とその周辺だけ。
その本丸は周囲に土塁が巡らされ、水堀と深い空堀で囲われている。
この素晴らしい空堀だが、残念ながら、堀底に雑木が鬱蒼としており見晴らしが極めて悪い。
角馬出前に再現された空堀、きれい過ぎるし、法面の勾配が小さすぎる。 こんなものを再現するより、本丸周辺の空堀の芝刈りをして欲しい、と思う。


 2017年5月16日
    10:30〜11:00 川越城
    12:00〜12:40 杉山城
    13:50〜14:50 鉢形城
    16:20〜17:00 箕輪城
 5月17日
     8:50〜10:00 金山城
    10:30〜10:50 足利氏館
    13:20〜14:00 水戸城
    14:50〜15:30 小幡城
 5月18日
     9:10〜10:00 佐倉城