常陸木原城


今回の城郭史学会のバスツアーは、常陸木原城である。
霞ヶ浦の南岸に位置し、湖とその南岸の交通の要衝を押さえていた城である。
土浦駅から、路線バスに揺られて20分ほどで着く。

この城は、とにかく広い。
南北に1キロくらいあり、城域内に小学校とお寺がある。
普通の民家もあり、畑もある。
案内人は、城郭史学会のメンバーと、何とそのお寺のご住職さんである。

⇒「国土地理院地図」

公園になっている本丸広場
本丸展望台から眺める霞ヶ浦と筑波山
本丸は公園となり、高校生たちが、キャッチボールを楽しんでいる。
周囲は土塁も巡らされているようだが、さほど目立たない。
この城の最大の特徴は、本丸が他の郭に比べ、一番低いところにあることである。
霞ヶ浦や街道に接したところの最重要地点を本丸に選んだようだが、・・・?である。


三の丸から二の丸への土橋
二の丸と三の丸間の横堀
(小学校裏門への通学路)
本丸・二の丸・三の丸間の掘りと土橋はしっかりしている。
特に、小学校裏門に通じる堀底の道は、現在でも通学路として利用されているようである。


三の丸東方の畝掘
(案内人が指さしているところ)
三の丸東方の二重掘の間の土塁
この城の見どころの一つに、三の丸東方の巨大な堀がある。
自然谷を利用したものらしく、幅が数十メートルある。
そのなかに障子堀らしきところがあり、畝が数条確認できる。
また、長い二重堀もあり、その間の土塁も見応え・歩き応えがあるが、写真写りはぱっとしない。


  木原城メモ
1504年、土岐氏の家臣、近藤氏がこの城に移った。
1584年、この頃までに、土岐氏は小田原北条氏に従う。
1590年、北条氏がと豊臣秀吉に破れ、土岐氏も所領没収。
   土岐氏の領地は、佐竹氏の所領となる。
1602年、佐竹氏が秋田に転封となったとき、この城も廃城となった模様。


 2019年1月26日