駿河千福城   


普明寺の裏山が千福城
登城道(二の曲輪付近)
  JR御殿場線の松田駅から沼津行きの電車に乗る。御殿場線とは不思議な線で、松田駅のように10両編成の列車でも止まれるようなホームもあれば、1両だけしかドアの開かないホームの駅もある。
  1時間近く乗ると、今日の集合場所の「裾野駅」に着く。
  同好の士は、30人ほどである。
  まずは、タクシーに分乗して「千福城」に向かう。”五竜の滝を見に来られる人は多いんですが、お城を見に来られた人は初めてですね”・・・とタクシーの運転手さん。


空堀
向こう側は三の曲輪

 西の出曲輪の竪堀

  タクシーを降りた「普明寺」の裏山が「千福城」である。
  城山には、山頂の主曲輪を中心にいくつかの曲輪が設けられているが、現在これらは杉林や茶畑などになっている。
  三の曲輪の手前には、屈折した空掘がある。
  主曲輪は、道がよくないとのことで断念したが、西に出曲輪には3本の竪堀が並走しており、珍しく写真写りもいい。
  道のないところは歩きにくいが、それだけに遺構はあまり破壊されずに残されているようである。 またの機会にじっくりと散策したい城である。


  駿河葛山城   

本丸
細長い曲輪

  次の葛山城まで、30分ほどてくてく歩く。
  大手口からハイキングコースになっている山道を登る。
  山頂には50メートル四方くらいの本丸があり、周囲は土塁で囲まれている。天気がよければ富士山が見えるらしいが、あいにく今日は時折みぞれが落ちてくる天気で、その姿を想像するしかない。


西出丸から二の丸を望む
間に2条の掘切
二号掘

  城は東西に細長い山の尾根筋に切り開かれた中世に良く見られる構造である。
  当然ながら、何本かの掘切が要所要所に配置されている。一つ一つの掘切は大きくはないが、連続して配置されている様子は見どころである。


  駿河葛山氏居館   

館外部
館内部

  葛山城の麓から10分ほど離れた所に葛山氏の館跡がある。
  館は道路に接した100メートル四方の正方形状で、周囲を高い土塁がとり囲んでいる。
  内部は一面の平地で、私有地らしく一部にはキャベツ畑があるが、遺構は全くない。
  館跡の隣には葛山家の家臣の子孫の敷地があり、この館もその人たちによって保存されたためであろうか、全くきれいに残されているのに感謝。

GoogleMapより
 2008年1月26日
 千福城メモ
   東駿の豪族葛山氏が築城したと伝えられる。
   その後、葛山氏の同族の御宿氏が居住する。
   元和元年(1615)、御宿正倫、大坂の陣で討死。


 葛山城メモ

   室町中期(1500年ころ)の築城らしい。
   葛山氏は、今川氏の被官として、東駿を治めていた。
   今川義元が戦死した後は武田氏に通じた。
   武田信玄の六男信貞が葛山氏元の養子となったが、以降この城の消息不明。