河村城



大庭郭から眺めた眺望
近藤郭
本城郭
西郭・北郭

  河村城を最初に訪れたのは、16年前である。 そのときは、山北駅から一人でてくてく歩いた。
  今回は、城郭史学会の見学ツアーである。 小田急線の新松田駅に集合し、タクシーに分乗して河村城に向かう。
  タクシーは、東端の大手口に着く。
  案内人は、地元山北町の教育委員会の加藤さんと、文化財保委員の安藤さんである。

  河村城は、酒匂川と山北町中心部に挟まれた比高100メートル余の山の西半分の尾根沿いにいくつかの郭を連立している。
  前回来たときは、本郭から東側は巨大な松林と危なっかしい細道だけだったが、郭群が整備され、歩きやすい公園となっている。
  ただし、私には整備しすぎ、と感じる。 これでは古城跡ではなく古城公園である。
  はるか下界には相模平野と相模湾が見下ろせる。 しかし、小田原城は山がじゃまをして見られない。


堀切2と畝堀
大きな橋は現代のもの
左の畝堀を上から見たところ
影絵は我々一行
堀切3
本城郭北側の畝堀を上から望む

  しばらく見学しているうちに、何か違和感を感じた。 この城には、土塁と虎口らしきものが全くないのである。
  最初からなかった訳でもあるまいが、宝永の大噴火はこの地に70cmも積もったらしいが、それが原因で失われたのであろうかと推察する。
  その代わりと言っては何だが、大きな堀切と畝堀が何カ所かに見られる。

  西郭と北郭を経由して町中へ帰る。 この二つの郭だけは整備されず、森林浴が楽しめる散策路になっている。

  河村城メモ

 1352年 南朝の河村一族、新田義興・脇屋義治とともに河村城に立て篭もり、畠山国清を主将とする北朝と戦う。
 1353年、岸の南原の戦いで河村秀国・秀経討ち死にし、新田義興は越後に逃れる。
 1430年ころ、上杉憲実の持ち城となっていたが、足利持氏方の大森憲頼が攻め落とす。
 1500年ころ、北条早雲が征服する。
 1570年ころ、武田氏との争いが激化しているころに補強される。
 1590年の小田原の役のときの状況はよくわからないが、このころ廃城となった模様。


 2017年1月28日