甲斐・勝沼氏館



  勝沼氏館    地図

勝沼ぶどう郷駅からの眺め
大日影トンネル遊歩道
  関東地方は、昨夜時折大雨が降る荒天だった。 ところが、今日は一転して好天である。
  「勝沼ぶどう郷」駅に集まったのは、30名。 駅からは絶好の景色が眺められる。
  今日の講師は、地元の朝日新聞社の記者さん。 「甲斐の城」を連載中とか。
  大日影トンネルをとおり、国宝の大善寺を参拝して「勝沼氏館」に向かう。

東門と堀
北門
  「勝沼氏館」は、400年間土に埋もれていたが、昭和48年、県立ワインセンターの建設にともない発掘され、現在は土塁、空堀などが復元されて歴史公園になっている。
  本郭は、100メートル四方よりやや狭い程度。 北と東に土塁と空堀が巡らされ、西と南は自然の切岸である。
  東側と北側に虎口がある。
  東側の堀は、戦国期には十分な幅と深さがある。
  
本郭内部
日川と城跡
  本郭内部は、ただの平坦地である。
  発掘されたらしい礎石が長方形状に並べられ、建物の跡を示している。
  城の西側は大きな切岸とその下に道路、南側は「日川」の激流である。

家臣屋敷
外郭の堀と水路
  本郭東側に外郭があり、部分的に復元された遺構がある。
  納屋のような家臣屋敷、庭園のような水路。 浄水設備もあったとの説明。

  どこまでが史実に忠実な復元で、どこからが推論と想像の産物なのか、判断に苦しむ歴史公園だ。


【勝沼氏館メモ】

  永正7年(1510)、武田信虎、岩殿山の小山田氏と争ったとき、勝沼に弟の信友を配する。信友は後に勝沼氏を名乗る。
  天文4年(1535)、勝沼信友、北条氏との戦いで討ち死。
  永禄3年(1560)、勝沼信元、上杉氏に通じたとして、武田信玄に謀殺される。勝沼氏館は廃城となる。
  天正10年(1582)、武田勝頼、織田信長に攻められ敗走するとき、大善寺に泊まる。信友の娘理慶尼、彼を迎える。
  昭和48年(1973)、県立ワインセンターの建設により、勝沼氏館発見。
  昭和56年(1981)、国史跡に指定される。
  平成17年(2005)、山梨県と勝沼町の合同調査終了。

 武田信縄─┬─信虎───信玄──勝頼──信勝
      └─勝沼信友─┬─信元──信就
             └─理慶尼

2011.8.27