片野城



  片野城    地図

浄瑠璃光寺
西側の空堀
  城郭史学会のバスツアーに参加した。 40人の定員が満員。
  9時きっかりに東京駅近くのバス駐車場を出発。
  今日の案内人は坂井尚登さん。 要を得た快適な解説で心地よい。
  1時間半ほどで目的地に着く。
  城は小高い丘に、南北に数個の郭が連なっている。 個々の郭は100メートル前後あり、大きい。
  最初に訪れたのは最南端の浄瑠璃光寺郭である。 無住の寺と、墓地、それに畠。 周りに土塁は見当たらないが、空堀で囲まれていることは確認できる。

太田三楽斉の墓
馬出の土塁
  墓地の一角に太田資正(三楽斉)の墓がある。
  三楽斉は数奇な運命の人である。 岩槻城主時代上杉氏に味方していたが、北条氏に味方した長男により城から追い出されてしまう。 その後佐竹氏によりこの城を預けられ、小田原で秀吉にも謁見している。
  三基ある墓のうち、中央のものは江戸後期、左右の小さいのが室町期、との専門家のご意見。
  寺の裏側に馬出があり、土塁で囲まれている。 しかし、ここは藪が多い。

枡形
七代天神社
    次の郭は七代天神社郭である。 虎口には枡形があり、鳥居脇の土塁に登るとその形が確認できる。
  100メートルくらいの参道の両側は藪と畠である。
  この神社も半ば朽ちている。

本丸内部
本丸の土塁
  最後は本丸とおぼしき郭である。
  本丸へ至る土橋には、民家が隣接している。 土橋は民家の屋根より高い。 我々一行が珍しかったのか、お年寄りが出てこられた。
  本丸は高さ3メートル以上の土塁で囲まれている。 内部は、雑木林そのものである。

  一時間余りの散策であった。
  バス車中で弁当を食べながら次の目的地真壁城に向かう。

 片野城メモ
  1566年、佐竹氏、客将の太田資正(三楽斉)を片野城に配す。
  1591年、太田三楽斉病死。
  1602年、土方(滝川)雄利、2万石で入城
  1625年、滝川正利、所領を返上し2千石の旗本となり、廃藩

2012.11.24