笠間稲荷神社
上野発の常磐線特急スーパーひたちに乗って1時間余りで友部に着く。 今年の11月に始まったばかりの「笠間周遊バス」に乗る。 レトロなバスで、何と無料である。
車内はさほど広くない。 座席の数を数えたら16個だった。 乗客は5、6人である。
笠間への道は混んでいたが、それでも20分ほどで笠間稲荷前に着く。 「笠間稲荷」は開闢1350年というから、大化の改新のころの建立である。
参道には門前店が並んでいる。 折から菊祭りが開かれており、たいそうな賑わいである。
笠 間 城
「佐白山」と呼ばれている城山へ向かう。 途中「大石邸跡」がある。 浅野家が笠間藩主だったころ、大石内蔵助の祖父の屋敷があったところである。
城域の最初は、藩主の下屋敷のあったところで、「山麓公園」として整備されている。 広い広場に、銀杏の大木、「時の鐘」の復元などがあり、絶好の小春日和を楽しんでいる親子連れが多い。
山麓公園より15分ほど山道を登ると本丸で、「城山公園」と呼ばれている。
本丸の南側に土塁がある。 高さ3〜4メートル、巾10メートル、長さ50メートルくらいもあり、土塁というより、一つの郭のようである。 「八幡台」と呼ばれている。
本丸東側に深い空堀があり、土橋で天守郭(殿主曲輪)につながっている。
土橋を渡ると、石段の連続である。 数人のお年寄りが降りてくる。 石段に落ち葉が積もり、気をつけないと滑りそうである。
石段は後世のものだが、両脇には当時の石垣が残っている。 石組みが見事である。
石段を登りきると天守台である。 さほど広くないところに、「佐志能神社」が建てられている。 木々に囲まれており、見晴らしはあまりよくない。
再び本丸に戻り、「八幡台櫓跡」のベンチで朝作った弁当を食べる。 秋の陽と風が心地よい。
城山をおり、元の山麓公園に向かう。 来たときとは別の道をたどる。 途中、「千人溜」「大黒石」など伝承と歴史を伝えるものがある。 せせらぎと並行する散策路もなかなかいいものだった。
2001年11月24日
笠間城メモ
昔々、このあたりに「百坊」と「三百坊」というお寺の勢力が対立していました。
形勢不利だった「百坊」は、当時有名だった宇都宮の武士に助けを頼みました。
おかげで、「三百坊」をやっつけることができました。
ところが、戦が終わっても武士たちは帰らずにそのまま居座ってしまいます。
こんどは「百坊」が不安になり、武士たちを不意打ちしようとしましたが、ばれてしまい、逆にやっつけられてしまいます。
武士たちは、そのまま笠間の領主になってしまいました。
承久元年(1219)のことで、初代領主は宇都宮時朝と伝えられています。
この領主は後、笠間氏と名乗りますが、本家に反して後北条氏に降ったため、豊臣秀吉によって家は潰されてしまいます。
笠間城はその後、幕末牧野氏8万石の城に至ります。