イタリアのお城


   
アウレリアヌス帝
城壁に埋め込まれた像
● ローマの城壁(北側)

  アウレリアヌスがローマ皇帝となったのは、紀元270年のことで、当時蛮族とされていたゲルマン民族が北方より侵入しはじめていた。 ゲルマン民族は、なんと中部イタリアにまで侵入し、ローマ市民を驚かせ、皇帝は市を取り巻く城壁を建設することにした。 この城壁は、「アウレリアヌス帝の城壁」と呼ばれ、現在でもその多くが残されている。
  城壁は271年に着工し、6年後に完成した。 周囲19キロ、平均高さ6メートル、厚さ3.5メートル、城門18箇所である。
  北側の城門の一つに「ピンチアーナ門」がある。

     
「ピンチアーナ門」
城壁
ホテルの窓から眺めた城壁



 
「サン・セバスティアーノ門」の内側
● ローマの城壁(南側)

  南側の城門の一つが「サン・セバスティアーノ門」である。 「サン・セバスティアーノ門」は、アッピア街道の出発口であり、両側に「アウレリアヌス帝の城壁」が、長く続いている。

     
門の東側の城壁
「サン・セバスティアーノ門」
門の西側の城壁



● トスカナ
  ローマの北にはトスカナの平野で、ぶどう、オリーブ、それにひまわりの畑が広がる。 羊の群れも多い。
  このあたりの町は、平地ではなく、不思議なことに小高い山の上ばかりにある。 絶え間ない戦乱を避けるための知恵なのか。
  そのような中でひときわ目立つのが「オルヴィエット」の町である。 紀元前の昔、ローマ人と争った(そして、ローマ人よりは文明国でかつ強かった)エトルリア人が建国した町である。 2500年間、下界との没交渉を拒否しているかのような姿である。

     
「オルヴィエット」遠景
「オルヴィエット」
トスカナに残る砦


● シエナ
  シエナは、ルネサンスのころは北隣のフィレンツェ、南隣のローマと覇を競っていた町である。
  城壁は、大砲も防御できるくらいの重厚さがある。

     
シエナの城壁1
シエナの城壁2
シエナの城壁3



● サン・ジミニャーノ
  サン・ジミニャーノは、13〜14世紀に栄えたが、16世紀に通商ルートが変わり、発展から取り残された町である。 そのため、世界遺産として往時の姿が残されている。
  数百メートル四方の小さな丘の町である。
  周囲の城壁と、丘の頂上の本丸が残されている。 城壁は余り厚くなく、中世の前期の城の風情である。

     
城門近くの城壁
本丸の城壁
本丸から眺めたトスカナ


● フィレンツェ
  フィレンツェは、町の中央部に東西に「アルノ川」が流れる。
  川の北側が旧市街である。 川の南側にはミケランジェロ広場があり、広場の頂上から町全体が見渡せる。

     
ミケランジェロ広場から眺めた「ベルヴェデーレ要塞」と城壁
ミケランジェロ広場の下の砦
アルノ川の南岸の砦



  2006年7月30日〜8月2日