千葉市の城跡めぐり
JR千葉駅の集合時間は12時丁度。
駅は改修中で、ホームを降りて中央出口に行くまではまるでお城の攻城ルートのような迷路。
生 実 城 (北おゆみ城)
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生実神社
| 神社のまわりの空堀
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JR千葉駅から京成千葉線に乗り換えて「学園前」駅で降りる。
市街地を10分ほど歩いて「生実城」に着く。
神社の周囲の一部に土塁が回っている。
生実城メモ
12世紀初頭から、千葉氏の一族の原氏がこの地を領していた。 後、原氏は後北条氏に仕える。
天正18年(1590) 徳川家康の家臣、西郷家員5000石で入城。
元和6年(1620) 西郷氏は安房東条に移る。
寛永4年(1627) 森川重俊、生実藩1万石の陣屋を構える。 明治に至る。
小 弓 城 (南おゆみ城)
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広大な内郭
| 本丸跡は墓地
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生実城から、郊外の住宅街を20分ほど歩くと、次の目的地の小弓城に着く。
ここは古河公方から別れた小弓公方の居城である。
周りより一段高い広大な城域である。 一部に空堀や虎口の跡らしきものも見えるが、残存具合は良くない。
本丸と言われているところは、広い墓地であり、かつては一部に土塁も残されていたらしいが、現在ではよく見えない。
小弓城メモ
12世紀初頭から、千葉氏の一族の原氏がこの地を領する。
1517年、原氏の守る小弓城を、古河公方足利政氏の子の義明が攻め、城主となる。
足利義明は、小弓公方を名乗る。
1538年、第一次国府台の戦いで、足利義明は北条氏綱に破れて戦死。
再び原氏の領地となったが、原氏は本拠を生実に移した。
足利尊氏─【鎌倉公方】基氏─氏満─満兼─持氏─【古河公方】成氏─政氏┬高基─晴氏─喜連川義氏
└【小弓公方】義明
小弓公方の義明は1538年の第一次国府台の戦いで北条氏綱に破れて敗死した。
そして、古河公方の晴氏は1546年、川越の戦いで北条氏康に破れている。
千 葉 城 (猪鼻城)
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”お城”の下では桜祭り
| わずかに残る空堀と土塁跡
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いったん千葉駅に戻り、バスで千葉城跡に向かう。
千葉氏代々の居城も、千葉大学の敷地となり、その面影は全くない。
その反対に、あろうことか大きな天守閣風の郷土館が建てられ、現代の”お城”にしてしまっている。
千葉城メモ
1126年、千葉常重が築城し、居城とする。
1455年、12代後の千葉胤直のとき、古河公方足利成氏、叔父の馬加康胤らに攻められ敗死。
2015年3月28日