@源平時代〜佐々木時代
佐々木秀義┬定綱【近江・石見・長門・隠岐守護】・・・京極・六角氏祖
├経高【阿波・淡路・土佐守護】─高重─秀経
├盛綱【越後・伊予守護】
├高綱【長門・備前守護】
└義清【出雲守護】
寿永2年(1183) 桜間城主田口成良、国司阿波守となる。
寿永4年(1185) 源義経の軍勢勝浦に上陸。新居見城の近藤六親家を味方につけ、平家方の桜間城を攻め落とす。
文治2年(1186) 佐々木経高、阿波・淡路・土佐3ケ国の守護となり、鳥坂城を本拠とする。
承久3年(1221) 後鳥羽上皇の倒幕挙兵に対して、佐々木経高阿波の兵600を率いて参加。経高は山城にて自害。
貞応元年(1222) 新たに阿波守護となった小笠原長経・長房が鳥坂を攻め落とす。
A小笠原時代
源頼義┬義家【源氏本流】
└義光─・・・─小笠原長清─長経┬長忠【信濃小笠原氏】
└長房【阿波小笠原氏】
├長久┬長義─・・・─大西覚養【阿波白地】
│ └長宗─・・・─一宮成助【阿波一宮】
├長親─・・・・・・─重清長政【阿波重清】
└長種─・・【三好氏】
貞応元年(1222) 小笠原長清、阿波守護となる。
寛喜3年(1231) 小笠原長経、阿波守護となり、勝瑞を守護所とする。
文永元年(1264) 小笠原長房、三好郡領の平盛高を滅ぼし、三好・美馬郡を得、岩倉に本拠を置く。
小笠原氏は、大西(白地)、重清、一宮などで支族が栄える。
B細川時代
細川公頼┬@和氏─❶清氏─政氏
└A頼春┬B❷頼之
├C頼有─・・・ 【和泉細川氏(肥後熊本細川氏)】
├❸頼元┬F❹満元┬❺持之─❻勝元─❼政元 【京兆家】
│ │ └H持元
│ └持国─持春─教春─政春─❽高国─❾稙国
├詮春─E義之
└D満之┬G満久┬J持常
│ └教祐─K成之─L義春┬澄元─❿晴元
└I基之 └M之持─N持隆─O真之
❶❷❸・・管領職
@AB・・阿波守護職
B足利義満─E義教┬G義政─H義尚
├義視─I義稙
└政知─J義澄┬K義晴┬L義輝
│ └N義昭
└【平島公方】義惟(義冬)┬M義栄
└義助・・・
BCD・・将軍職
建武3年(1336) 細川和氏・頼春、阿波守護となり秋月に本拠を置く。
暦応元年(1338) 南朝方の小笠原(後一宮氏と改姓)長宗、一宮城を築き、北朝方の細川氏と戦う。
このころ、南朝方の新田氏の一族脇谷義治、八ツ石に築城。
正平18年(1363) 細川詮春、勝瑞に移る。
弘和元年(1381) 南朝方の菅生大炊助が細川氏に降り、阿波の南北朝時代は終わる。
応仁元年(1467) 応仁の乱始まる。細川成之、阿波・三河の兵8000を率いて東軍に参加。
飯尾常房、「汝や知る野辺の都の夕雲雀 あがるを見ても落つる涙は」の歌を詠む。
天文3年(1534) 細川持隆、義惟(義冬)を平島に迎える。
天文21年(1552) 細川持隆、三好義賢により殺される。
天正4年(1576) 細川真之、密かに仁宇谷に逃れる。
C三好時代
小笠原長種─・・・─三好義長─長之┬之長┬長秀┬元長┬【畿内】長慶┬義興
│ │ │ │ └義継(一存実子)
│ │ │ ├【阿波】@義賢─A長治
│ │ │ ├【淡路】安宅冬康
│ │ │ └【讃岐】十河一存─B存保(義賢実子)
│ │ └康長(秀次の養父)─康俊【阿波岩倉】
│ └長則─長逸(三人衆の一人)
└勝時─政長─政康(三人衆の一人、大坂の陣で戦死)
@AB 阿波三好家
永正17年(1520) 三好之長、細川高国と戦って敗死。
天文元年(1532) 三好元長、細川晴元と堺で戦い敗死。
天文2年(1533)頃より、三好長慶活躍。永禄7(1564)没。
天文21年(1552) 三好義賢、細川持隆を殺す。
義賢に暴挙に対し、芝原城主久米義広が兵800で弔い合戦を挑むが、
三好義賢2000の兵に敗れる。(黒田・鑓場の合戦)
【三好義賢方】 一宮(一宮成助)、早淵(早淵主馬亮)、淡路・安宅冬康、奥野(奥野親経)
【久米義広方】 花房(仁木高将)、蔵本(小倉重信)、佐野須賀(佐野載房)、
野田山(野田内蔵助)
永禄5年(1562) 三好義賢(実休)、畠山高政と和泉久米田で戦い戦死。
戦後、このとき戦った多くの武将たちが改名する。
上桜・篠原長房⇒紫雲、木津・篠原実長⇒自遁、三好康長⇒笑岩、
牛岐・新開忠之⇒道善、海部・海部友光⇒宗寿、一宮・一宮成助⇒卜閑、
白地・大西重元⇒覚養、西条東・岡本清宗⇒牧西、上浦・有持成康⇒道慶、
矢上・矢野虎村⇒戒厳、板西・赤沢信濃⇒宗伝
三好家は長治が跡を継ぐ。上桜(篠原長房)、木津(篠原自遁)、板西(赤沢宗伝)らが執事。
永禄9年(1566) 三好康長、篠原長房ら足利義栄を擁して兵庫に上陸。織田信長らと戦う。
義栄は第14代将軍となる。
このころ、篠原長房ら「新加制式」を定める。
元亀3年(1572) 三好長治、7000の軍勢で上桜を攻める。
篠原長房、1500の兵で戦うが戦死。
天正4年(1576) 細川真之、密かに仁宇谷に逃れ、茨ケ岡に拠る。
天正5年(1577) 三好長治、細川真之を攻めようとするが、
逆に一宮成助・伊沢頼俊に攻められ今切で自害。
【三好長治方】 今切(篠原玄蕃亮)、土佐泊(森志摩守)、林崎(四宮加賀守)
【細川真之方】 仁宇(仁宇正広)、西方(東条実光)、一宮(一宮成助)、
伊沢(伊沢頼俊)、早淵(早淵頼母亮)
木津の篠原自遁ら、弔い合戦と称して、7000の軍勢で一宮城を攻め落とす。
天正6年(1578) 十河存保、勝瑞に入る。
●ところで ”小少将”という女性の夫と子たち
最初の夫 細川持隆 子、細川真之
次の夫 三好義賢 子、三好長治、十河存保
三番目の夫 篠原自遁(篠原長房の弟)
最後の夫 長宗我部元親 子、長宗我部右近太夫
D長宗我部元親の侵入
天正3年(1575) 長宗我部元親、5000の兵で阿波南部に侵入。海部城(海部宗寿)を落とす。
天正7年(1579) 長宗我部元親、重清城を攻略した後、脇・岩倉城を囲む。
三好康俊、元親に降り、勝瑞方の将士をよびよせ殲滅する(岩倉合戦)
天正10年(1582)5月、織田信長、織田信孝・丹羽長秀を四国征伐に向かわせようとする。
三好康俊これに呼応。
6月、本能寺の変で中止。
天正10年(1582)8月、長宗我部元親が再び阿波に侵入。
8月、中富川の合戦(長宗我部元親23000:十河存保5000)。
9月、十河存保は讃岐虎丸城に退去。
合戦後、阿波の武将たちが次々謀殺される。
9月 牛岐城主・新開道善謀殺。 10月 細川真之憤死。
11月 一宮成助謀殺。
勝瑞を落とした後、脇と岩倉を囲む。
脇城の武田信顕は戦死するが、岩倉城の三好康俊は和議し城を明け渡す。
脇と岩倉城には、長宗我部親吉が入る。
天正11年(1583)4月、木津の篠原自遁、長宗我部氏に攻められ淡路に逃れる。
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中富川の戦い 天正10年8月28日
赤字−十河存保方で城主が戦死した城
青字−長宗我部元親に味方した城
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【三好方で戦死した城主】
矢上(矢上虎村)、下六条(三好何右衛門)、板東(板東清利)、七条(七条兼仲)、板西(赤沢宗伝)、保崎(馬詰駿河)、
西条(西条益太夫)、北原(北原義行)、知恵島(知恵島重綱)、南島(甘利奥右衛門)、乗島(乗島来心)、高畠(高畠時清)、
第十(第十拾太夫)、日開(鎌田光義)、徳里(白鳥左近)、下浦西(田村盤右衛門)、鈴江(鈴江友明)、櫛淵(櫛淵国武)、
長塩(長塩六之進)、大寺(大寺松太夫)、野本(野本左近)、大代(大代内匠)、佐藤須賀(佐藤長勝)、瀬部(瀬部友光)、
高志(高志右近)、讃岐・大内(寒川三河守)、讃岐・宇多津(奈良太郎左衛門)、飯尾(飯尾常重)、中島(片山重長)、
角田(角田平右衛門)、湯浅(湯浅豊後守)、福井(芥川宗長)、大潟(四宮光武)、古川(古川友則)、市楽(石河吉行)、
中庄(中庄主膳)、新居(堀江国正)、原(原田信綱)、香美(香美馬之進)、吉田(原田小内膳)、姫田(姫田甚左衛門)、
由岐(由岐有興)
【長宗我部に味方した阿波の城主】
牛岐(新開道善)、一宮(一宮成助)、夷山(庄野兼時)、桑野(東条関之兵衛)
【その他】
木津(篠原自遁)
E豊臣秀吉の四国征伐
天正13年(1585)6〜7月 豊臣秀吉の四国征伐。
【豊臣秀吉方】
阿波方面 羽柴秀長3万、羽柴秀次3万
讃岐方面 宇喜多秀家・蜂須賀正勝ら 1.5〜2.3万
伊予方面 小早川隆景2.5〜4万
【長宗我部元親】 総数2〜4万
白地(長宗我部元親)、
渭山(吉田康俊)、一宮(谷田忠澄、江村親俊)、木津(東条関之兵衛)、
牛岐(長宗我部親泰)、岩倉(長宗我部掃部助)、脇(長宗我部新左衛門尉)
F蜂須賀時代
天正13年(1585) 蜂須賀家政、阿波に入国し一宮城に入る。17.3万石。
赤松則房、住吉1.0万石。
天正14年(1586) 蜂須賀家政、徳島に移る。
慶長5年(1600) 赤松則房除封、住吉は蜂須賀至鎮に与えられる。
元和元年(1615) 蜂須賀至鎮、淡路を加封され、25.7万石。この年、一国一城の令。
【阿波九城】
一宮城 益田宮内少輔持正
岡崎(撫養)城 益田内膳正忠3593石→益田大膳正利5000石
西条城 森監物5500石
川島城 林図書助能勝(後道感)5500石
脇城 稲田左馬亮稙元10000石→稲田修理亮示稙14000石
大西(池田)城 牛田掃部尉一長5300石→中村右近太夫重友
牛岐(富岡)城 細山帯刀(⇒賀島主水正)政慶10000石
仁宇(和食)城 山田織部正宗重5000石
鞆(海部)城 中村右近太夫重友5254石→益田宮内一政7000石→益田豊後長行7500石
蜂須賀正勝─@家政─A至鎮─B忠英┬C光隆─D綱通
├(1)隆重
├隆矩─E綱矩─(3)正員=F宗員
└隆喜┬G宗英
└(2)隆長
松平頼熙┬H宗鎮
└I至央
佐竹義道─J重喜─K治昭─L斉昌
コ川家斉─M斉裕─N茂韶
@AB 徳島藩主
(1)(2)(3) 富田藩主
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