安 土 城   



   
安土城山
石碑のある入り口

  JR安土駅を降りたら、駅前にレンタサイクル店があり、店主のおじさんが待ち構えている。 春休みの日曜日というのに、朝早いせいか、人だかりはない。
  おじさんは、地図をもとに、見学のポイントやら道順などを丁寧に説明してくれる。何度もやっているためか、立て板に水を流すような流暢な語りである。
  教わったとおり自転車を進ませると、「安土城跡」の石碑のある虎口に着く。 どういう訳か、ここからの入城は禁止である。

   
大手の道
大手(上より)

  城山を左にみながら自転車を進ませると大手の入り口である。
  大手道は、他の城ではみられない、ほぼ直線的である。 防御性より示威性を重視したのだろう。
  天正9年暮(本能寺の変の半年前)、羽柴秀吉は、信長やその側近の人たちへの歳暮品をこの大手道にいっぱい並べ、城の人たちを驚かせた。天守閣からこれを見た信長もこれには驚き、
  ■「あれなる布引の行列は大気者の筑前の進物の台であろう。先頭は城門をくぐったるに、うしろはまだ山麓のきゃつが屋敷を出ておらぬわ」 (司馬遼太郎、「太閤記」)
  その進物が並んでいたであろう大手道を登る。

   
黒金門
本丸

  しばらく登ると「黒金門」で、「太閤記」でいう城門である。 石組みの虎口がすばらしい。
  また、他の場所に比べて、石が大きい。
  門を入ると、本丸であるが、さほど広くはない。信長が家臣たちと面会したのはここであろうか。

   
天主台
天主台

  本丸のすぐ横に天主台がある。 大きな礎石が並んでいる。 天下人の城とはいっても、まだ戦国の時代、周囲の石垣は野面積みに近く、天主の礎石は無骨な大石である。

   
横曲輪
伝羽柴秀吉館跡

  下りは、登りのルートとは別のルートにする。三重塔や仁王門を過ぎ、「曲輪」と名がついた木立の散策ルートである。
  散策ルートは、「伝羽柴秀吉館跡」で終わる。
  ところで、安土城には、「伝・・館跡」というのがあるが、家臣団の多さに比べ、館跡はほんの数箇所である。特定の家臣にだけの館があるというのは解せない。もっと別の用途ではなかったのかと思うのだが・・・

 
観音寺山城

 ● 観音寺山城
  安土城のすぐ隣に「観音寺山城」がある。 南近江の大名、六角氏の居城である。 安土城の何倍もの大きさである。


安土城メモ
  天正4年(1576)正月、起工。
  天正7年5月、天守閣が完成。
  天正10年6月、本能寺の変のとき、天守炎上。
  天正11年正月、織田信雄が入城するが、翌年廃城となる。

  2007年3月25日