「円」という文字

− 「圓」を「円」にしたのは空海? −

 19世紀初頭から、中国(清朝)では、欧米から来た圓(円)形の銀貨を、その形状から「銀圓」と呼んでいました。 清朝が倒れた後、中国(当時は中華民国)ではこの「圓」を新しい貨幣単位としました。 
 中国ではその後、「圓」は画数が多いため、発音yuanの同じ「元」が使われるようになりました。 簡体字が使われるようになったのは1956年からです。 それでも「圓」の簡体字は「圆」で、それほど簡略化されていません。 現在中国では、紙幣には「圆」が使われ、硬貨には「元」が使われているようです。

  
 旧字体 
  
 略字体@ 
  
 略字体A 
  
 新字体 
 一方日本では、明治維新のとき、この「圓」を新しい貨幣単位としました。 中国より先のことですが、すでにそのころから貨幣単位名の兆しがあったものと思われます。
 戦後、「圓」は「円」に簡略化されました。 中国に比べ、「円」はずいぶん簡略化されています。 この字体はいつ頃発生したのでしょうか。 調べてみると意外と古く、何と平安時代に遡ります。

 9世紀初め、空海が唐から帰国するとき、写経生を集めて幾つかの経典類を書写させました。 これらはまとめて『三十帖策(冊)子』と呼ばれています。 写経生たちは丁寧に楷書体で書写したのですが、空海自身は時間を惜しんでか、行書体を多用しました。 このときの「圓」の字は、口の中の員を大胆に「ノ」で簡略化したものでした(⇒略字体@)、および(⇒下図左)。

 そのうち、より書きやすくするためか、最終画の横棒がせり上がってきました(⇒略字体A)。 この使用例は、12世紀末の『元暦校本万葉集』や、19世紀中頃の『北越雪譜』(⇒下図中央)に見られます。
 明治41年に国語調査委員会が編纂した『漢字要覧』(⇒下図右)にもよく似た書体が正体の「圓」に対する別体として掲載されています。 この中で、「物の数量を記する時に限りて、別体を用ゐるも妨なし」と書かれています。 漱石や太宰も手書き原稿ではこの書体を使っていました。

 さらに昭和になって、最終画がだんだんせり上がり、現在の形(⇒新字体)になりました。 そしてこれが現在の「新字体」として採用されています。

     
  
  
空海の『三十帖策子』
  江戸時代の『北越雪譜』
  (はうゑんのかたち)
 明治41年の『漢字要覧』
 上は正体、下は別体
漱石の『坊ちゃん』
直筆原稿

 日本銀行の本館は、明治29年の竣工ですが、現在の新字体の「円」と全く同じ形状をしています。
 現行1万円札の「円」、やや横長で最終画は少し下がり気味、紙幣の額面表記として貫禄があります。

  
日本銀行本館
(Google Mapより)
  1万円札の「円」

さて、本題から少し離れますが、と言う文字があります。 実はこれも「圓」の変化です。 昭和の頃までは、商品の値札に使われることもあったそうです。 この文字が生まれた推移をみてみます。

(1)  (2)  (3)  (4)  (5)  (6)  (7)
(1) 秦・漢代の篆書体。
(2) 旧字体。
(3) 口の中の口をムにしました。戦前の紙幣にも使われていた書体です。
(4) 行書体です。4世紀東晋の王羲之の筆です。
(5) 行書体の口(くにがまえ)を二つの点にしてしまいました。 日本の鎌倉時代以降に盛んに使われました。
(6) 貝の下のハを2本の縦画にしました
(7) 上の書体を楷書風にしたもの。『新潮日本語漢字辞典』で「円」の「別体」として掲載されています。


【参考文献】
  @笹原宏之、『日本の漢字』、岩波新書、2006
  A高田竹山監修、『五体字類』、西東書房、大正5
  B『新潮日本語漢字辞典』、2007
  C児玉幸多編、『くずし字解読辞典』、東京堂出版、1999
  D『直筆で読む「坊ちゃん」』、集英社新書ヴィジュアル版、、2007
  E国立国会図書館デジタルコレクション

 2020.11.13  (コロナは第3波か)