『ピコラエヴィッチ紙幣』

熊谷敬太郎、『ピコラエヴィッチ紙幣〜日本人が発行したルーブル紙幣の謎』、ダイヤモンド社、2009年10月1日発行

ロシア革命でロシア帝国が倒れ、ソヴィエト政権が誕生したのは1917(大正6)年のことです。 政治はもちろん、経済も大混乱しました。 モスクワからはるかに遠い極東ではなおさらのことです。
当時、この極東の港町ニコライエフクスで長崎県出身の島田源太郎が手広く貿易業を営んでいました。 ロシアの塩鮭、砂金、木材、毛皮を輸入し、この町で百貨店、料理店を経営していました。
彼は、通称「島田商会札」と呼ばれる紙幣を発行していました。 この札は、ロシア人からは「ピコラエヴィッチ」と呼ばれていました。 紙幣の図案の中に本来”НИКОЛАЕВИЧА(ニコラエヴィッチ)”と書くべきところ、先頭の"Н"を"П"と間違えてしまったため、「ピコラエヴィッチ」と呼ばれてしまったものです。

島田商会1ルーブル札
原点社「日本紙幣収集事典」より
数年たってこの札の需要が増え、島田商会は大阪の印刷工黒川青年を雇うことにしました。
黒川は尋ねました。
■「それよりも前から不思議に思っていたのですがロシアではどうして日本の一商社が紙幣の発行などできるのですか?」
黒川の社長は答えました。
■「おお、そいつは良い質問だ。昔から貨幣偽造は死罪だからな」
そして、次のように説明しました。
この極東の港町では、人々は夏の間に獲った鮭を売り、そのお金で次の夏まで生活するのだが、政府の紙幣は極端なインフレで信用がない。 またこんな田舎は無政府状態だ。
人々は鮭を島田商会に持ち込み、受取証をもらう。 それが島田商会札だ。 島田商会はこの町で幅広く百貨店や料理店を経営しているから、この札があれば暮してゆける。 この町では、政府の紙幣よりずっと信用のある紙幣として使われているのだ。

黒川はニコライエフクスにわたり、紙幣の印刷に没頭します。 島田商会の女店員オリガが何かと世話をしてくれます。
しかし大正9年3月、赤軍が侵攻してきます。 裕福なロシア人たちは次々に殺されました。 「尼港事件」の発端です。

フィクションとは分かりながらも、スリル、ロマン、サスペンスのある展開に興奮する小説でした。


「日本紙幣収集事典」(原点社、平成17)によると、島田商会札は、10ルーブル、5ルーブル、3ルーブル、1ルーブル、50カペイクの5種類発行され、現存数は全部で数十枚。 マニアには人気があり、時価は7〜38万円となっています。


2012.8.17