銭貨の品位

  江戸時代の「寛永通宝」は、銅と鉄の一文銭と四文銭、合計4種類がありました。 発行当初は、素材によらず一文銭は1文、四文銭は4文でしたが、幕末になると銅と鉄に差がつき始めました。
『新聞雑誌』 明治5年正月号
「新聞雑誌」は、明治4年5月に木戸孝允の発案で創刊されたもので、当時東都4大新聞のひとつと言われた。その後「あけぼの」、「東京曙新聞」と名を変え、明治12年9月まで民権派の新聞として続いた。

  額面によらない実質的な価値を「銭貨の品位」と呼び、このような運用を「増分(ましぶ)運用」と呼びました。
  右の冊子は、明治4年12月に明治政府が銭貨の品位を改定したことを伝えています。

 ○従来運用の銭貨品位左表の通り御改正相成たり
  (天保通宝) 100文通用の処80文
  (銅四文銭) 24文通用の処20文
  (文久永宝) 16文通用の処15文
  (銅一文銭) 12文通用の処10文

  なお、この表は
    金1円=金1両=銀60匁=銭10000文
の換算基準になっています。両や匁の単位がまだ使われていたようです。

 下の表は、銭貨の品位の変遷を一覧したものです。
寛永通宝
(銅一文)
寛永通宝
(鉄一文)
寛永通宝
(当四銭)
寛永通宝
(当四鉄)
文久永宝天保通宝
初発行年寛永13年6月
(1636)
元文4年11月
(1739)
明和4年5月
(1767)
万延元年12月
(1860)
文久3年2月
(1863)
天保6年6月
(1835)
素材と重さ青銅
1.0匁前後
のち0.6匁前後

0.8匁前後
青銅
1.3匁前後

1.3匁前後
青銅
1.0匁前後
青銅
5.5匁前後
発行時の価値1文1文4文4文4文100文
文久3年(1863)ころの相場2〜4文1文
慶応元年(1865)閏5月の公布4〜6文1文12文8文100文
慶応3年(1867)ころの相場10〜12文1文20〜24文2文15〜16文80〜90文
慶応4年(1868)閏4月の公布12文1文24文2文16文96文(100文)
明治4年(1871)12月の公布10文1文20文2文15文80文
明治5年(1872)3月の公布1厘16枚で1厘2厘8枚で1厘2枚で3厘8厘
最終通用年月昭和28年12月
(1953)
明治30年9月
(1897)
昭和28年12月
(1953)
明治30年9月
(1897)
昭和28年12月
(1953)
明治29年12月
(1896)

  これらの品位は、その後明治5年3月に最終確定しました。
  次の図のどれもが、「1厘」です。鉄が極めて低く評価されているのが分かります。
左から、1厘銅貨、寛永通宝銅一文、鉄一文16枚、銅四文2分の1、鉄四文8枚、文久永宝3分の2、天保通宝8分の1
  鉄銭は明治30年に通用停止になりましたが、寛永通宝の銅銭が通用停止になったのは、昭和28年の年末でした。

2008.12.17