明治の役人の辞令

(A)
(B)
(C)
(A) 「邏卒」とは巡査のこと。明治維新で失業した多くの旧武士階級にとっては、このうえない就職先でした。
  とはいえ、三等邏卒ともなると、月給は5円で、かなり低所得です。
  なお、「名東(みょうどう)県」とは、現在の徳島県+淡路島です。
(B) このころ府県の改変が盛んに行われており、明治10年の高知県は、現在の高知県+徳島県です。
(C) 日清戦争直前の第2次伊藤内閣のころです。
  「二等軍医」は少尉待遇で、月給50円。   この人物、日露戦争後の明治41年には、中佐待遇の「一等軍医正」(月給150円)にまで昇進しています。
  さすがエリートは高給です。

(D)
(E)
(F)
(D) なかなかの書体です。「熊」や「縣」の字画も興味深いものです。
(E) 「訓導」とは小学校の先生のこと。ちなみに、中学校は教諭、大学・高等学校は教授と呼ばれていました。
(F) 大正10年前後、日本人の給料は数年で2倍になっています。
  この人物も、その後大正13年には42円に昇給しています。

 2007.9.20