「 逆 さ 桐 」


天保二朱金  天保3年より発行 1.5g,12.7×8.0mm

  

正打

逆打
(この画像は、「逆さ桐」ではなく、画像を逆転したものです)

江戸時代の金貨は、小判の他に小さな長方形の金貨、二分金、一分金、二朱金、一朱金などがありました。
一方の面(実は裏側)に金座支配人名の「光次」とその花押、もう一方の面(実は表側)に桐の紋と額面がデザインされています。

ところが、ごく稀に表と裏が逆の方向になっているものがあります。 桐の図がひっくり返っているのです。 これは、製造ミスではなく、意図的に逆にしたようなのです。 しかも江戸初期の慶長一分金から、明治二分金までずっと300年近くです。
理由についてはよく分かってませんが、数枚に1枚の割合で目印としたとの説があります。

当時の人はこれを「逆さ桐(さかさきり)」と呼んで珍重しました。 偶然これを入手すると、出来るだけ使わないでしまい込んでいたそうです。
  逆さ桐残りて嬉し晦日かな
また、蓄えておいたものを、恵比須講のときに使うという習慣もあったようです。
  逆桐の開帳をする恵比須講

丹波福知山のお殿様朽木昌綱は古銭収集家として知られていますが、天明6年(1786)にオランダ東インド会社の友人に宛てた手紙の中で、この逆さ桐のことを、
  紋章が逆さになっており、そのため「逆桐」と命名された。1000枚目に鋳造されたと記されている。
と説明しています(原文はオランダ語)。

金座支配人の後藤家の記録「者満松はままつ 音物いんもつおぼえ」に、
  天保七年(1836)申年三月十八日 一、逆桐二朱金 弐拾両
と、老中水野忠邦に音物をしたことが記録されています。 逆さ桐の二朱金で160枚です。 (者満松とは、水野忠邦の城地浜松のこと。)

「逆さ桐」の他に、「見返り」という優雅な呼び方もありました。
もっとも、桐の図のある方が表面なので、逆さになっているのはその裏側なのです。 現代の古銭収集家は、「逆打」と呼んでいます。
上の天保二朱金、正打なら数千円で入手できますが、逆打は数万円します。


【参考文献】
  横山伊徳編、『オランダ商館長の見た日本』、吉川弘文館、2005
  西脇康、『江戸町人の貨幣文化と英国プルーフ銀貨一大判・小判の贈答儀礼・貨幣信仰を中心に一』、
                       J-STAGE「比較都市史研究」、2001年20巻1号

 2020.12.10 (コロナはまだ続く)