母銭借用
寛永通宝(背文)
寛文期江戸亀戸銭
(1668年)
24.9mm 4.2g
寛永通宝(背佐)
享保期佐渡銭
(1717年)
25.1mm 3.6g
江戸時代、銭を作るには、まず「母銭(ぼせん)」と呼ばれる特別仕立ての銭を作ります。 それを砂地の上において鋳型を作ります。 表と裏の鋳型を貼り合わせ、間に溶けた銅を流し込みます。 冷ましたあと、きれいに整形して通用銭を作ります。 同じ母銭からは、同じ通用銭が作られます。
さて、上の2枚。 上段は、寛文期に江戸亀戸で鋳造された銭。 下段は享保期に佐渡で鋳造された銭です。
二つの寛永通宝、背文は「文」と「佐」の違いがありますが。面文はそっくりです。 そっくりというより、全く同じです。
寛文期に江戸亀戸で作成された背文銭は、細かく分類すると数十種類ありますが、その中で「縮字勁文」と呼ばれているものです。 通字用画の二引き上画右側に鋳切れがあるのが特徴です。
享保期に佐渡で作成したものは、面は「縮字勁文」をそのまま使用しています。 通字の特徴もそのままです。 江戸亀戸の銭座から母銭を借用して佐渡でも使ったようです。
2020.6.20 「コピー銭」より独立