東西ドイツの通貨統合

西ドイツ 1マルク 白銅貨
1950〜94年発行
(2001年まで貨幣セットで発行)
5.4g 23.4mm
国名は BUNDESREPUBLIK DEUTSCHLAND
国章は、神聖ローマ帝国以来の鷲
東ドイツ 1マルク アルミニウム貨
1956〜90年発行
2.4g 25.0mm
国名は DEUTSCHE DEMOKRATISCHE REPUBLIK
国章は、労働者・知識人・農民を意味するハンマー・ディバイダ・麦
二次大戦後のドイツは、1948年6月、戦前のライヒスマルクを10分の1にデノミして、ドイツマルクとしました。
東西ドイツは、当初表面上は同じ通貨制度でしたが、別々の通貨を発行し始めました。
それ以来、政治も経済も全く異なる道を進みました。
象徴的なベルリンの壁が築かれたのは、1961年8月のことです。

東ドイツは、東欧では優秀な工業国でしたが、社会主義の悪いところの見本でもありました。
  ・重要視されるのは品質ではなく、数量。 品質向上は不要。
  ・作業効率を改善すると失業を生み出すので、効率改善も不要。
  ・減価償却という概念がなく、生産設備やインフラの老朽化は進み放題。
いつの間にか東欧でも劣等生となり、改革を進めていたソ連のゴルバチョフにも見放されました。

そして遂に、1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊されました。
このころ、東ドイツマルクは、西ドイツマルクの4〜5分の1の実勢レート。 時には、10分の1近くになったこともあったそうです。
西ドイツのコール首相は、実勢よりも東側に優位なレートでの通貨統合の実施を公約として、選挙で勝利。

1990年7月1日より、通貨統合され、東ドイツマルクは西ドイツマルクに交換されました。 その交換レートは、
  ・1人4000東ドイツマルクまでは、1:1で交換。
   ただし、14才以下は2000マルク、60才以上は6000マルクが限度。
   なお、当時の為替レートは、1西ドイツマルク=約90円。
  ・それ以上の預金は1:2で交換。
  ・外国人は1:3で交換。
という方法をとりました。 かなり東マルクを優遇しています。

10月3日になって、両国家も再統一。 ただし、国家の再統一というより、東ドイツの5つの州が自発的に西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に加盟するという方法をとりました。 (この当時、西ドイツの人口は6300万人、東ドイツは1600万人。)

この統合には大喜びした旧東ドイツ国民でしたが、西側の製品よりも品質で劣る分を価格で補っていた旧東ドイツの企業は競争力を失い、社会主義時代にはあり得なかった企業閉鎖や従業員解雇が続出しました。
1991年には、東ドイツ400万人の労働者のうち、270万人が失業していたそうです。

その後経済回復したとはいえ、統一後30年たった現在でも給与格差は、統一直後の 西1:東0.6 から 1:0.8 とまだ尚格差が続いています。


2020.3.25