夜叉袋銭

伝・夜叉袋銭 永楽通宝

2.3g 25.2mm
伝・夜叉袋銭 開元通宝

2.7g 22.8mm
夜叉袋の地図は ⇒ 
 
上の2枚の銭、典型的な日本製の鐚銭の風貌です。
しかも、あまりできの良くない部類の鐚銭です。
銅質などから、いわゆる「関東鐚」に属するもののようですが、この2枚は夜叉袋での出土銭と伝えられています。
「夜叉袋(やしゃぶくろ)」とは、秋田県南秋田郡八郎潟町にある地名です。 八郎潟の東です。
この銭に関する文献としては、次の二つがあります。

■昭和30年 南秋田郡一日市町夜叉袋の田から、明治初期のニセ一文銭多数出土 ・・・ 佐藤清一郎、『秋田貨幣史』、昭和46
■昭和34年春、八郎潟町夜叉袋地区で耕地整理中、地表下約1.5mの粘土層より多数の銭貨が出土した。銭貨は無文銭、宋銭類が千点程で「玉石でもって囲まれ埋れていた」そうである。発見当時、出土銭を分析した秋田古泉会では、無文銭、宋銭とも地元で鋳造された私鋳銭と想定している。 ・・・ 秋田県教育庁、『秋田県出土銭貨資料一覧』

双方の文献で、発見時期などについて違いがありますが、拡大解釈するとこの銭は、明治初期にこの地で鋳造されたもの、となります。
明治初年まで各地で寛永通宝や天保通宝の模造銭が作られていたのは知られています。 特に東北地方では、秋田阿仁銅山、岩手浄法寺、岩手江刺などが有名です。 
しかし、当時通用されていなかった中国銭の模造銭が作られたというのは解せません。
別の情報などご存じの方、お知らせいただけたら幸いです。

 2018.1.30