天正通宝

天正通宝  3.6g 23.9mm

豊臣秀吉は、恩賞用に金銭銀銭を発行したと伝えられています。
天正15年(1587年)3月の「多聞院日記」に、
■関白殿朔日に出馬一定也。馬数3000、総人数2万5千余云々。京都の聖護院・三宝院始て諸門跡・諸公家衆並勅使・勢州本所・一乗院以下悉以暇乞に大坂へ被出了。此御面々へ御出の造作分似合々々に八木被遺了。金子の利足紅の緒にてつなぎて、1貫づつ5人わきがけに被持之。金銀を負たる馬12疋云々。
と九州攻めに向かう秀吉が、馬12頭分の金・銀を運んだことが書かれています。「利足」とはお金のことらしいです。

このときに秀吉が持って行った金銭・銀銭がどのようなものかは定かではありませんが、このころに日本で発行された金銭・銀銭は次のようなものがあります。
  @宋や明の貨幣をそのまま銀で鋳写したもの。「元豊通宝」、「皇宋通宝」、「紹聖元宝」など数十種類の銭銘がある。
  A「永楽通宝」の金銭や銀銭。 (⇒ 東京大学の永楽通宝御紋金銭 
  B日本の年号を冠した「天正通宝」、「文禄通宝」。
これらのすべてがすべて豊臣秀吉の発行によるものとはいえません(特に@は、他の大名が発行した可能性もあります)が、これらは全て「太閤金銀銭」と総称されています。

上の画像は、そのような太閤銀銭のひとつ「天正通宝」です。 明の「永楽通宝」の「永楽」の文字を取り除き、「天正」に置き換えたものです。 重さは約1匁です。
この当時、大まかにいうと、
   1日の労賃 = 銀1匁 = 銭100文 = 米1斗
くらいでした。 上の「天正通宝」は銀1匁ですので、現代人感覚では、1万円といったところでしょうか。
馬1頭には20貫の荷駄を乗せることができたそうです。 この天正通宝なら、2万枚です。

【余聞】
明治の終わりころ、旧大大名の某侯爵家から武具骨董類の買取を請け負ったある商人、すべての値付けを終わったあと、ふと甲冑をみると、腰に何やら汚れた銭が巻き付けてある。
よく見るとこれが全部太閤銀銭! 甲冑より、こっちの方が高そう。 思わず息をのむと、侯爵さんもそれに気づいたようだが、”それも一緒に持って行け”とばかりに太っ腹を見せたとか。


  2013.7.14