明治の村札
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江戸時代から明治初年にかけて、大名、旗本、寺社、村、大商人などが独自の紙幣を発行することがありました。
明治2年12月、新政府が政府以外の紙幣の発行を禁止しましたので、明治3年を最後に発行されることは少なくなりました。
ところが、左の村札の発行は、明らかに明治5年以降のものです。
下部の印には「高嶋郡第七区北畑村戸長役場印」とあります(現在の滋賀県高島市新旭町北畑です)。
「区」の呼称が生れたのは、明治4年4月に「戸籍法」が制定されたときです(「区」は、明治11年に廃止されました)。
また、「戸長(とちょう)」は、明治5年4月に、従来の庄屋・名主に代わるものとして制定されたものです。
「文」の単位も少し奇異ですが、「文」単位だった郵便料金が「銭」単位に改訂されたのは明治5年1月のことですから(1銭=100文)、地方や民間では、まだ古い「文」単位の習慣があったとしても不思議ではありません。
明治5年11月15日、新たに公布された「国立銀行条例」では、国立銀行以外での紙幣・金券・通用手形類の発行をあらためて禁止しました。
これらのことと、「三月五日限」と朱書きされていることから、この村札は、おそらく明治5年夏〜暮に発行されたものと考えられます。
東京の大工さんの賃金が1日30〜50銭の時代です。1銭=100文の価値をご想像ください。
2008.4.4