ユスティニアヌス大帝
ユスティニアヌス大帝のフォリス銅貨
21.0g 37〜38mm 厚さ2.5mm
ラベンナのサン・ビターレ聖堂のモザイク
(Wikipediaより)
ユスティニアヌスは、西暦483年、マケドニアの農村で貧農の子として生まれました。
東ローマ帝国の軍人だった叔父に引き取られ、叔父が東ローマ皇帝になると重用され、叔父の死とともに、ついに皇帝になります。44歳のことでした。
皇帝となったユスティニアヌスには多くの業績がありますが、その中でも次の二つが著名です。
・古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』の編纂を行う。
・ゲルマン人に征服された西ローマ帝国の遺領の大半を回復する。
これらの業績により、「大帝」の称号を得ました。
しかし、これらのために先帝が残した大量の金貨を使い、さらに帝国に侵入する異民族には金で解決し、一方で軍隊を軽視して部下の名将たちを冷遇したため、財政難と軍隊の弱体化が進行します。そのため、折角獲得した領地の維持もできずに放棄せざるをえませんでした。
優柔不断でも知られ、西暦532年に首都で民衆が反乱を起こしたときは、宮殿でぶるぶる振るえていました。皇帝を叱咤激励して反乱を鎮めたのは、娼婦出身の皇后テオドラでした。
ともあれ、西暦565年、83歳の天寿を全うしました。ローマ皇帝としては、稀有の長寿です。
2007.12.16