アシニア紙幣

50ソル紙幣 1792年発行 84×72mm
すかし部分(右側の円の中に”50SOL”がみえる)


  1789年11月、フランス革命政府は教会財産を没収し、司祭たちの生活費や貧困者救済にあてる財源とすることにしました。 そして、売却までの当面の措置として、これらの財産を担保として、紙幣を発行しました。 教会財産は6億リーブルあり、これは当時のフランスの国家財政1年分を超えるものでした。
  当初は5%の利子つきの国家債券でしたが、90年からは強制通用力を持つ不換紙幣となり、10ソル(スー)から1万フラン(リーブル)まで数十種類が発行されています。
  この紙幣は『アシニア(Assignat)紙幣』と呼ばれています。国有財産を「assigner(アシネ)=金を支払いに当てる」ので、この名があります。
  和紙のようなやわらかい紙で、裏面に印刷はありません。 上の50ソル紙幣は四隅が切られています。 また、すかしがあります。

  92年になって、オーストリアをはじめとする諸国との革命戦争が勃発すると、その戦費を捻出するため、乱発されるようになりました。
  当然、金貨・銀貨とくらべての貨幣価値は大きく下落し、政府の物価統制令や、紙幣を額面どおり使わないことの罰則などが出されましたが、インフレーションは進行し、この紙幣の価値は10%を切るようになりました。

  ついに96年3月、この紙幣の使用を停止せざるを得ず、紙幣は焼却、印刷機は破壊されました。 フランス国民は、混乱した政治、進行するインフレ、諸外国の圧力などで疲弊し、英雄の出現を渇望しました。 ナポレオンが頭角を見(あら)わしはじめた頃です。

アシニア紙幣関連記事
1789 12月 アシニア債券を発行。
7月 パリ民衆がバスチーユ牢獄を襲撃(フランス革命勃発)。
11月 国民議会が教会財産を没収し、国有化することを決議。
1790 8月 債券ではなく、通用力を持つ紙幣とする。紙幣価値は額面の95%。
1791 11月、紙幣価値、82%に下落。
1792 6月、革命戦争開始とともに増発され、紙幣価値57%に下落。
4月 オーストリアに宣戦布告(革命戦争開始)。
9月 国民公会が開催され、王政を廃し、共和政を宣言(第一共和政)。
1793 7月には紙幣価値が30%まで下落したが、経済統制で50%に回復。
1月 ルイ16世処刑。
6月 ジャコバン派の恐怖政治始まる。
10月 マリー・アントワネット処刑。
1794 12月、最高価格令廃止、急激な物価騰貴進行。
7月 テルミドールのクーデタ、ロベスピエール処刑される。
1795 9月、紙幣価値3%に急落。
4月、貨幣制度を改革。リーブルをフランと改称、1フラン=10デシメとする。
  (これまでは、1リーブル=20スー(ソル))
1796 2月、更なる発行を停止するため、印刷機を破壊。
3月、アシニア紙幣の流通停止。
3月 ナポレオンのイタリア遠征開始。



2007.1.10