草原で拾った一枚の古銭

乾隆通宝
25.0mm 4.0g

  福田定一は、昭和18年に学徒出陣し、19年4月に満州四平の陸軍戦車学校に入学、12月に卒業すると牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊の小隊長となりました。
  満州での演習中、彼は一枚の古銭を発見し、涙を流しました。

  ■陸軍戦車学校を卒業、演習は北満の広野で行われたが、この草原で、私は一枚の古銭を拾った。表に乾隆通宝と鋳られ、裏に私が習った蒙古文字(正しくは古代満州文字)が書かれている。おそらく蒙古へ帰る隊商の荷の中からこぼれ落ちたもので、その文字を見つめているうちに私のまぶたからどめどもなく涙が溢れ出た。
  中国五千年の史上、中原の豊饒を求め、荒れ果てていく漠北の自然に追い立てられながら長城に向かって悲痛なピストン侵略を加え続けた砂漠の騎馬民族や、オアシス国家の文明ほどはかないものはない。最後に清朝を立てた満州民族でさえ、国家どころか、民族そのもをも今日の地上から蒸発し去っているのである。その巨大な滅亡の歴史が、一枚の古銭に集約されている思いがして、もし私の生命が戦いの後にまで生き続けられるならば、彼らの滅亡の一つ一つの主題を私なりにロマンの形で表現していきたいと、体のふるえるような思いで臍を決めた。

  彼はこのとき21歳でした。 彼は、のちに新聞記者となり、”司馬遼太郎”のペンネームで、”歴史”を書く作家となりました。
  「乾隆通宝」は、清朝最盛期の乾隆帝(在位1735〜95年)が発行したものです。

 ( 司馬遼太郎、「一枚の古銭」、昭和35 − 「司馬遼太郎が考えたこと 1」、新潮文庫、2005 より )

2006.12.18