ヒエロン2世

ヒエロン2世の銅貨
26.8mm 17.7g

  ヒエロン2世は、紀元前269年、シラクサの「僭主」となりました。 僭主とは、非合法的に独裁的権力を握った指導者のことです。
  前265年、隣町のメッシーナと争いになりました。 メッシーナはローマに援軍を求めました。 それに対してヒエロンはカルタゴに援軍を求めました。 第一次ポエニ戦争(前264〜241年)の発端です。
  緒戦はローマの圧勝でした。 カルタゴ軍は敗退し、ローマ軍がシラクサを包囲しました。 カルタゴに失望したヒエロンは、ローマに和議を求めました。 ローマ側が出した条件は信じられないほど寛大でした。
    ・(ほんのわずかの)賠償金を支払うこと
    ・今後ともローマのよき「同盟国」であること
    ・シラクサの豊かな穀物をローマに優先的に輸出すること
  ヒエロンは、その後、ローマが苦境にたったときも離反することなく、終生ローマのよき同盟者を続けました。

  ヒエロンはあるとき、自分の金の王冠に混ぜ物がないか心配になり、町一番の物理学者に調べさせました。 物理学者は、さんざん考えて水と浮力の法則を発見し、王冠に混ぜ物があることを証明しました。 この物理学者が、アルキメデスです。

  第二次ポエニ戦争(前218〜201年)が始まって間もなくの前215年、ヒエロンは90才の天寿をまっとうしましました。 後を継いだ15才の孫は内紛で殺され、シラクサはカルタゴに味方します。 ローマはシラクサを攻め、アルキメデスも、ローマ兵によって殺されました。 前212年のことです。 シラクサは、ローマの同盟国ではなく、「属州」になりました。

2006.9.10