肆両分銅
肆両分銅
江戸時代、銀貨は取引の都度重さを量って使われていました。 重さの基準を厳格にするため、分銅の製作は分銅座支配の後藤四郎兵衛家にのみ許されていました。 (後藤四郎兵衛家は、彫金の後藤家の宗家であり、金座支配の後藤庄三郎家は分家になります)
表には重さの表示、裏には「後藤」の字と後藤家の花押、そして全面に後藤家の家紋の五三の桐が刻印されています。
「肆」は「四」のこと、ちなみに一から十までは、「壱弐参肆伍陸漆捌玖拾」と書きます。
「両」は、金貨の貨幣単位ではなく、中世以来の重さの単位で、1両=10匁=37.5グラムです。
この分銅は、4両の重さで、ちょうど150グラムあります。
両替商では、50両、30両、20両、10両、5両、4両、3両、2両、1両、5匁、4匁、3匁、2匁、1匁、5分、4分、3分、2分、1分の19種類で1セットの分銅を使っていました。
この分銅の形、現在でも地図記号の中で、「銀行」の記号として生きています。
彫金後藤家
佑乗─宗乗─乗真─┬─光乗─┬─徳乗─┬─顕乗─┬─程乗─┬─廉乗【四郎兵衛家】─・・・
│ │ │ │ └─悦乗【理兵衛家】─・・・
│ │ │ ├─寛乗【八郎兵衛家】─・・・
│ │ │ └─殷乗【七郎右衛門家】─・・・
│ │ └─光次【庄三郎家】─・・・
│ └─長乗─┬─立乗【七郎兵衛家】─・・・
│ └─覚乗【勘兵衛家】─・・・
└─元乗【喜兵衛家】─・・・
150g W45,D30,H18mm
2006.04.12