日原(にっぱら)鍾乳洞





 ⇒地図 
  9月18日(2005年)、先週までの暑さが弱まり、かねてから計画していた「日原(にっぱら)鍾乳洞」へ行く。
  JP青梅線の終点、「奥多摩駅」から「東日原」行きのバスに乗る。通常なら1〜2時間に1本しかないのだが、好天の休日とあって臨時バスが増発されていた。 乗客は老若男女、家族連れなどで満員である。
  曲がりくねった道で、しかも時々1車線になり、対向する車と道を譲り合いながら30分ほどで、終点に着く。
  バスを降りて歩く。平日ならバスは鍾乳洞のすぐ近くまであるのだが、休日はマイカーが多く、狭い道のため2つ手前の「東日原」までしか行かない。だいぶ涼しくなったとはいえまだ9月、陽のあたるところでは少し汗ばむ。

  30分ほど歩くと、「日原鍾乳洞入り口」に着く。
  入り口の案内所で、「昔古銭が出たそうですが、どんなところにあったのですか?」と聞いたら、「どんなところにもいっぱいありましたよ。取った跡が残っているところもありますよ」と教えてくれた。
  外界は30度近いというのに、洞に一歩はいると、気温10度の世界である。頭を打ちそうな低い天井からは、ぽたぽた冷たい水が落ちてくる。古銭がいっぱいあった気配のある棚状のところがしばしば目にはいる。懐中電灯で照らしてみたが、もちろん今は1枚もない。

  水琴窟がある。今日は機嫌が悪いのか、音はまったくしない。ふたに書かれた図は、(写真では分りにくいが、)「北周布泉」である。

  「三途の川」、「さいの河原」、「死出の山」、「地獄谷」など、ぞっとするような名の場所が続く。
  腰をかがめながら歩いたり、急な階段を登ったり、一周するには40分ほどかかった。


@日原銭・無文銭
18mm 1.1g(磁性強し)
A日原銭・叶手元祐通宝
20.6mm 1.6g(磁性強し)
B日原銭・天下手祥符通宝
22.0mm 1.8g(磁性弱し)
                                  

  さて、この日原鍾乳洞では、昭和40年ころ、大量に古銭が発見されました。
  その総数56.7万枚といいますから、1トン近くあります。
  その内訳は、
    (1)無文鉄銭     50.0万枚 (内現存1000枚)
    (2)加治木などの日本銭 1.5万枚 (内現存3000枚)
    (3)渡来銭       2.0万枚 (北宋銭が8割)
    (4)寛永通宝      3.6万枚 (古寛永と新寛永)
との報告がありますが、その大多数は当時溶解または破棄されたらしいです。

  現在、これらは一括して「日原銭」と呼ばれていますが、次のように分類できそうです。
    ●日原鋳造銭  日原で鋳造したらしいもの。鉄分が多く含まれる。
       ├─ 無文または銭文の読めない小形のもの ⇒@
       ├─ 銭径が小さいもの ⇒AB
       └─ 銭径が大きく製作がよく、流通痕のないもの ⇒C
    ●日原出土銭  他で鋳造されたもの。渡来銭、寛永通宝、加治木銭などの日本銭が主体。 ⇒D
  鉄質で小型のものは一目で「日原銭」と識別できますが、それ以外のものは伝承を信頼せざるを得ないのが現状のようです。

      
C伝日原鋳造銭・嘉定通宝背八
流通痕がない
24.5mm 3.5g(磁性なし)
      
D伝日原出土銭・元祐通宝
加治木系の鐚銭
23.9mm 3.1g(磁性なし)


参考文献
 @高木芳月、「日原銭・口なし天禧・叶手の鋳地」、『収集』1984.9
 A「日原出土銭という課題」、『季刊方泉處・第16号』1996

2005.9.19  2007.5.24update