坊っちゃん


 夏目漱石が松山中学の先生になったのは、明治28年のことでした。
 坊っちゃんが松山中学の先生となったのは、明治38年のことです。
 それぞれ日清、日露の戦争の直後のことです。 日本が世界の五等国あたりから、一気に先進国の仲間入りをしようとしていた頃です。 日露戦争後、一等国になったという人たちに対して、のんきなものだと漱石は批判したそうですが。
 「坊っちゃん」の中には、お金の話がよく出てきます。 現代との価値観の違いを想像してみました。

改造兌換銀行券1円(明治22年〜発行)
(番号が漢数字で書かれています)
  ● 後架に落とした3円
  坊っちゃんは、女中の清にもらった3円のはいったがま口を、あろうことか後架(便所)に落としてしまいました。 訳を話したら、清が臭い中から拾い上げてくれました。
  ■それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。
  このころの銀貨は、50銭、20銭、10銭の3種類ありました。 大きさは違いますが、どれも同じデザインです。 他に1円銀貨もありましたが、これは主に東アジアの貿易決済用で、国内で使われることは稀でしたから、清が持ってきたのは50銭銀貨6枚でしょう。
竜50銭銀貨(明治6〜38年発行)

  ● 四国への旅費
区 間坊っちゃんの時代(*1)現 在
東京(新橋)⇒神戸三等 4円
二等 7円
一等 12円
所要時間 17時間
のぞみ 14,670円
(乗車券は 9,030円)
所要時間 3時間
神戸港⇒松山港(三津浜港)三等 2円95銭
二等 4円70銭
一等 7円50銭
所要時間 17時間
二等 5,500円
一等 10,500円
特等 18,000円
所要時間 7時間40分
三津浜港⇒松山3銭200円
   (*1)は明治33年の官有鉄道および大坂商船会社の時刻表による。
  ■おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐(ふところ)に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。
  東京から神戸までは汽車(おそらく二等を利用)で行き、汽船で松山に行ったようです。
  当時のお金で16円、30時間以上の長旅です。 16円は、当時のやや高給取りの月給に相当します。
  現在、飛行機を利用すると、27,000円、1時間20分です。

  ● 先生の給料
人物学歴職 業月給
坊っちゃん物理学校卒明治38年松山中学校教諭40円
明治38年東京街鉄の技手25円
夏目漱石帝大卒明治28年松山中学校教諭80円
明治29年第五高等学校教授100円
明治36年帝大講師、兼一高教授、兼明治大学講師155円
大江磯吉
(藤村の「破戒」のモデル)
長野師範卒明治19年(長野県)平野小学校訓導11円
牧野富太郎
(植物学者)
佐川小学校中退明治26年帝国大学理科大学助手15円
藤島武二
(画家)
教員免許を検定で取得明治26年(三重県)津中学校助教諭23円
小林栄
(野口英世の恩師)
福島師範卒明治29年猪苗代高等小学校主席訓導12円
島崎藤村明治学院卒明治29年(仙台)東北学院教師25円
明治32年(長野県)小諸義塾教師30円
石川啄木盛岡中学中退明治39年(岩手県)渋民尋常高等小学校代用教員8円
明治39年(函館)弥生尋常小学校代用教員12円
市川房枝女子学院中退明治41年(愛知県)萩原尋常小学校代用教員
(当時15歳、のち準教員)
5円
(のち8円)
  坊っちゃんの給料が40円だということは、小説のあちこちに何回も出てきます。
  ■四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。
  ■そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。
  ■そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。
  ■すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢だと云い出した。
  40円でもかなり高給なのですが、作者の夏目漱石は、実はこの倍の80円だったのです(しかも、そのときの校長先生は60円でした)。 この差は、夏目漱石(帝大卒)と坊っちゃん(物理学校卒)の学歴の違いなのです。 学歴が大きくものを言う時代でした。
  また、学校の種類(大学・高等学校[教授]、中学校[教諭]、小学校[訓導])による格差も、現代人には理解できないほど顕著です。


  ● 山嵐と確執の一銭五厘
  坊っちゃんは山嵐から氷水をおごってもらったのですが、その後赤シャツらの言った山嵐の悪口を信じてしまいました。
  ■そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、おれの顔に関わる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。
  山嵐の机の上に一銭五厘おいたのですが、山嵐は受け取ろうとしません。 そのうち、どうも悪いのは赤シャツの方らしいことが分かってきました。
稲1銭銅貨(明治31〜大正4年発行)、半銭銅貨(明治6〜21年発行)
  ■机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の墻壁(しょうへき)になって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑として黙ってる。おれと山嵐には一銭五厘が祟(たた)った。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。
  もちろん、誤解はとけて二人は親友になりました。
  「江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」、「会津っぽか、強情な訳だ」

  ● 物価の比較
ことがら明治38年ころ平成12年ころ比 率
食べ物たまご(1個)2銭4厘18円750倍
白米(10Kg)1円19銭4,934円4,100倍
カレーライス6銭656円11,000倍
そば(もり、かけ)2銭443円22,000倍
給料高等国家公務員の初任給50円18万円3,600倍
大銀行の初任給(大卒)35円18万円5,100倍
小学校の先生の初任給10〜13円20万円15,000〜20,000倍
大工さんの手間賃(1日)85銭18,940円22,000倍
サービス国鉄初乗り料金5銭130円2,600倍
はがき1銭5厘50円3,333倍
映画館入場料20銭1,800円9,000倍
理髪代15銭3,612円24,000倍
その他自転車200円2万円100倍
目覚まし時計1円38銭5,000円3,600倍
新聞購読料(1月)45銭3,250円7,200倍
銀座の土地(1坪)300円9000万円300,000倍
  当時と現在の物価の比較ができると読みやすいものです。
  いくつかの比較表を作成してみました。 特殊なものを除くと、数千倍から2万倍の範囲におさまっています。 これでみると、計算のしやすい「1万倍」で評価しても大きな間違いはあるまいと思われます。 1銭は現在の100円、1円は現在の1万円として比較してください。

  団子 2皿7銭
    (現在、「坊っちゃん団子」は8本入600円)
  道後温泉入湯料 上等(浴衣つき、流しつき)8銭
    (現在、道後温泉の入湯料は500〜1500円)
  三津浜→松山の汽車 3銭
    (現在、JR予讃線の同区間は200円)
  松山→道後温泉の汽車 上等5銭、下等3銭
    (現在、伊予鉄道市内線は全区間150円)
  山嵐が借りた宿屋  1泊 70銭
    (現在、松山のホテル1泊食事なしで、6000円〜1万円)
  赤シャツ(教頭)の借家 玄関つき 9円50銭
    (現在、松山市内の4DK以上の一戸建て貸家は5〜10万円)
  坊ちゃんの東京での借家 玄関なし 6円
    (現在、新宿区の2DK賃貸マンションは10〜15万円)

  たまごは当時1個2銭4厘です。 単純に1万倍すると、240円になります。 たまごは当時高級品だったのです。 この高級品を
  ■おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やっと云いながら、野だの面へ擲(たた)きつけた。・・・中略・・・こん畜生、こん畜生と云いながら残る六つを無茶苦茶に擲きつけたら、野だは顔中黄色になった。
・・・としたところに、坊っちゃんの痛快さが味わえます。

1円札の裏面
(この1円札は現在でも通貨として有効です)
参考文献
 週刊朝日編、「値段史年表」、朝日新聞社、1988
 週刊朝日編、「戦後値段史年表」、朝日文庫、1995
 総務省統計局統計センター、「東京都区部の年平均小売価格」
 「青空文庫」
2004.11.14