ドイツのハイパーインフレ


1923年2月20日発行 2万マルク紙幣
(まだインフレ初期です)
第一次大戦に敗れたドイツは、1320億マルクの賠償金を課せられました。

1320億マルクがどれくらいのものかを推測してみました。
【計算1】大戦前の為替レートでは、1マルク=50銭。
  当時の日本の勤労者家族の一か月の平均的な支出は100円くらい。
  これを現代の40万円とすると、当時の1円は現代の4000円に相当します。
  すると、当時の1マルクは現代の2000円、1320億マルクは264兆円になります。
【計算2】この1マルクは金0.358423グラムと等価の1金マルクです。
  最近金相場は高騰しており、1g=約4600円。
  1320億マルクの金は、218兆円になります。

どちらにしても、200兆円。 なるほど、大変な賠償金です。
当然賠償金の支払いは滞りがちになります。 怒ったフランスとベルギーは、1923年1月、ドイツ鉱工業の中心地のルール地方を占領してしまいます。 ルール地方のドイツ人はストライキで対抗します。
生産活動は低下し、またドイツ政府が彼らの支援のために大量の紙幣を発行します。 ただでさえ戦後の物不足でインフレが進行していたころです。 一挙にハイパーインフレが始まりました。

1922〜23年 ドイツの郵便料金(書状)

右のグラフは、当時の郵便料金の推移です。
上の2万マルク紙幣が発行されたときは、切手1枚は50マルクで、この紙幣で切手400枚買えました。
ところが9か月後の11月には、1000億マルクになりました。 上の2万マルク紙幣500万枚(積み上げると500メートル)です!

【参考】「j_deafの切手収集」


1922年12月15日発行 1000マルク紙幣
1923年9月 「10億マルク」の加刷



右の紙幣は、1922年12月に発行された1000マルク紙幣です。
その紙幣の上に「10億マルク(Eine Milliarde Mark)」の加刷を行っています。
加刷が行われたのは1923年9月のことです。 1年もたたないうちに、100万倍です。


下のコインはヴェストファーレン州(Provinz Westfalen) が発行したノートゲルト(Notgeld; 緊急貨幣)です。
すべて同じデザインですが、額面とコインの大きさ・重さがずいぶん変化しています。
(なお、表の肖像はナポレオン時代のプロイセンの指導者シュタイン(Heinrich Friedrich Karl vom und zum Stein; 1757-1831)です。)
1921年発行
1マルク アルミニウム貨
1.9g、25.9mm
1922年発行
500マルク 青銅貨
19.4g、38.0mm
1923年発行
50,000,000(5000万)マルク アルミニウム貨
5.4g、37.6mm
1923年11月発行
1000,000,000,000(1兆)マルク紙幣
140×71mm  (裏面に印刷はない)


1923年11月15日、新たに設立されたレンテン銀行は、国内の土地を担保として「レンテン・マルク」を発行し、1レンテン・マルク=1兆マルクのデノミを実施しました。 そして、政府はレンテン・マルクの発行限度を320億マルクとするなど、財政改革をすすめました。 インフレは瞬時に止まりました。 「レンテン・マルクの奇跡(Wunder der Rentenmark)」と呼ばれています。
(ナチスのミュンヘン一揆が起きたのは、まさにこの数日前の11月8〜9日のことでした。)

1924年発行
1マルク白銅貨
4.8g、22.3mm

なお賠償金は、純金0.358423グラムと等価な「金マルク」だてですので、インフレのあった「紙マルク(パピエル・マルク)」の影響はありませんでした。
この賠償金はその後たびたび減額され、ドイツ政府は2010年10月に、最後の7000万ユーロ(80億円)を完済しました。


2012.5.25  2015.8.10 加刷10億マルク札を追加